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ことしの陸奥の遅い桜は、喪に服して薄墨色に咲くだろう。
あまりにも過酷な春である。平成23年3月11日、東北から関東に及ぶ東日本大震災が発生した。世界最大級の地震と想像に絶する大津波によって、一瞬のうちに、尊い人命や家屋が土地もろともに流された。死者や行方不明者の数は日に日に増えている。市街には瓦礫のなかに船舶が打ち上げられている。海岸線は、建物の残骸や自動車や漂流物で埋め尽くされている。
これまでに見たことのない光景である。惨憺たる状況のなかで、去年に変わらず雪国の桜が咲く。歌一首。
み空より 降りくるものか 桜はな
われに寄り添ふ 神にかあらむ
桜の花は、人の心の不安を映すのか。平安の歌人も、「静心なく花の散るらむ」と詠じた。はなやかな花の盛りに散りいそぐもののはかなさが漂う。静心なきは人の世の常である。それを無常というには現実は余りにも悲惨である。その悲嘆の情を、ひとひらの花びらが写しとる。
平成7年1月17日の阪神・淡路大震災のときもそうであった。その冬が過ぎて、再び、桜の季節がきた。その年、私はこう書いた。この春も同じである。
ことしの花鎮めは、数えきれないほどの非業の死を遂げた霊を慰撫するものとなった。
ひとひらひとひらと舞い散る、薄墨色に咲く桜の花びらは、亡き魂にささげる散華で
ある(『終末都市』)。
桜には魂が宿る。散りいく花は鎮めねばならない。
「鎮魂」は、「タマシズメ」とよみ、また「タマフリ」ともよむ。災いを引き起こす荒ぶる魂をなだめ鎮めて、その霊力を振るい越し、幸いをもたらす魂となることを願う神事である。
宮中では、旧暦の3月、「鎮花祭」が行われた(『年中行事御障子』)。春、花が飛び散る時、疫神が分散して災厄を行うのを防ぐ祭りである。農村では、桜花には稲霊が宿るとされ、「鎮花祭」は豊作祈願の神事である。
現在、京都の今宮神社では、4月 第2日曜日に「やすらい祭」が行われる。宮中や神社の「鎮花祭」がもとである。寂連法師のものと伝わる唱歌、「花や咲きたるや やすらひ花や」「千代の千代添へや やすらひ花や」と囃しながら花傘の周りを踊る風流な祭りである。花傘に入ると疫病が祓われるという。
いつもの春も、桜の季節はあわただしい。まして、この春は、心落ち着かない。亡き魂を鎮め、その力をもって護られることを願うばかりである。その思いを桜のひとひらにこめる。
厳しい雪国にも、再び、春が訪れる。
甦る草や木は、新たなる、いのちとこころの讃歌である。故郷の海や山は変わらずに眼の前にある。中井久夫氏は、
山なみは青く、海は鏡のように輝いていた。近くにみえる山と海とは私には大きな精神的な安定感を与えた(『1995年1月・神戸』)。
と記した。陸奥でも、いずれ、海は白く輝き、山は緑に映えるにちがいない。
この国の、美しい海山里、豊かな森は、生きとし生けるもの、すべてのいのちをつないできた。自然を畏怖しつつ、その恵みを感謝する。それが私たちの祈りであり、願いであり思いである。
いざ生(い)きめやも。痛みを共にするものの声がする。
2011年 4月 寄稿
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