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私は、1968年から2002年まで外務省で仕事をし、退官してから6年余りを外国の大学で研究と教鞭をとり、帰国後は日本の大学に職をえて、今は毎日、日本の外交や国際社会における日本の位置について、考える時を過ごしている。
つくづく思うのは、凄まじい勢いで動いている国際社会、特にアジア太平洋社会の中で、日本は、元気が無いことである。これは、一面、戦後日本国民がよく働き、平和で豊かな生活を享受し、解決すべき問題があるとはいっても、そこそこに私たちが満足のいく生活をしているからに、他ならない。
けれども、世界と日本の落差は明らかにひろがっている。ほかの国、特に中国・韓国・インド・東南アジアなどの成長と活力の度合いがあまりにも日本を凌駕し始めている。このままでいけば、私たちが今享受しているものは、どんどん減ってくる。もしそうなりたくないのなら、現状を打破して活力ある日本をつくるために、大いなる危機感をもって、毎日を生き直さねばならない。
それでは、何をすればよいのか。自分のできることで、どこに、力をふりしぼればよいのか。総体として、日本はどのような国家目標をたてて進めばよいのか。
日本にとっての最大の問題は、1989年、平成になってから、国際的には冷戦が終了してからの20年、民族として一致団結して進むべき、国家目標を失い、漂流を続けていることにある。もういい加減にしなくてはいけない。国民の多くが納得し、本来私たちがもっている活力を開花させ、私たち自身にとって、また、世界にとってよりよい日本をつくるために、全力投球する目標を再定義する時に、私たちは来ていると思う。
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それでは、何を目標に、私たちは国づくりを進めればよいのか。
私は、戦後の日本、特に冷戦後の日本が失ってきた一番大切なものを再興することにあると考える。何を私たちは失ってきたか。
第一に、祖先から受け継いできた、この類まれなる、日本の自然であり、そこで育まれてきた、自然と調和する日本の伝統的な生活である。1945年、太平洋戦争によって、明治以来蓄積してきた近代化の富の多くを失いながら、なお、国敗れて山河あり、日本には太古の彼方からうけついできた山、川、湖、森林、田園、海があった。そういう自然の中に生活の基礎をおき、時には自然の猛威と闘いながらも調和して生きてきた、生活があった。戦後の開発と20年の漂流で、失ってきたそれらを、もう一度、とりもどさねばならない。
そのためには、一次産業の復興がある。弱い産業を障壁をたてて守ると言う発想はすてねばならない。強い産業に育て直さねばならない。
観光を新しい力にしようという動きがある。しかし、日本人の多くにとって、観光は、神社仏閣であり、日常とかけ離れた、額縁の中の風景の鑑賞である。致命的な誤解がある。最高の観光は、そこに住む人たちの生活自体が、自然と文明の調和を形作る風景をなし、その生活にふれるために人々が訪れようとする、そういう場所のことである。日本の各地を、そういう場所につくりかえねばならない。
第二に、近代の日本の発展を支えてきたのは、日本人の技術力である。その力なくして、日本経済のパイを大きくし、生活を豊かにしていく磁力はない。その技術力が弱り始めている。日本発の技術力をしぼませてはならない。日本発の高度技術製品を世界の市場に流しだす、その仕組みを再興しなければならない。
第三に、風景も技術によって作り出す製品も、眼に見えるものである。眼に見えるものを作り出すのは、人間の心である。眼に見えるものを失ってきたとするなら、そこには、必ず、そういう結果を招いてしまった、人の心の喪失がある。戦後民主主義とアメリカ化の中で、日本人自身が失ってしまった「公」がある。風景と技術をとりもどすには、まず、心の中の「公」をとりもどさねばならない。
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では、どこにいったら、そういう風景と技術と公の心を一番直裁にとりもどせるか。日本の地方である。なぜなら、地方にこそ、日本人の実際の生活があり、破壊されながらも自然が残り、技術の発見の場となる企業が場所を求めているからである。
けれども、地方を核として日本の国家目標をつくるということには、途方もない責任がともなう。失敗したら、後がない。
@地方は、東京を見てはいけない。これまでの地方の発展は、おうおうにして、中央から補助金をとり、「ミニ東京」を作ることに目標があった。日本中が、ミニ東京になった時、日本は、たぶんなんらの独自性のない、磁力のない国になってしまうだろう。
A地方が見るべきは、世界のトップである。自ら、世界のトップに対して、どういう視点と、どういう魅力と、どういう独創性をもって競争していけるかを考えることによって、それぞれの地方が、他に類のない独創的な存在になっていけるであろう。
B飛躍するには、無駄をはぶかねばならない。各地方が、例えば県を単位にすべてを持とうとしたら、共倒れは自明である。隣接地域に周到な目配りをし、緊密な協力をしてこそ、独自の発展が可能となろう。 (了)
2010年 12月 寄稿
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