「予見と合意」

加藤尚武(鳥取環境大学学長)

 予見された危険は回避できるというのは本当だろうか。化石エネルギーの消費によって地球の温暖化が起こるので、化石エネルギーの消費を抑制しなくてはならない。この前提になっているのは、予見された危険は回避できるという考え方ではないだろうか。

  チェルノブイリ発電所はいつかは必ず大事故につながる危険をはらんでいた。東海村の原子力事故も、雪印の事故も、「いつかは必ず」という構造だったのではないだろうか。私は山一証券やそごうデパートの倒産も「いつかは必ず」という構造であったのではないかと思う。「企業の倒産はその当事者の誰もが不利益をこうむるので、倒産に対してはそれを回避しようとする、自然反発力が企業内に働く」というテーゼも、自由主義企業の安全性を支える基本的な原理であろうが、しかし、それが働いていないのではないかと思う。

 現代の世界では予見された危険も回避できないという運命が支配している。ユーゴスラビアの紛争の前にアメリカの女性の外交評論家でその紛争の経緯をほとんど正確に予見していたひとがいる。彼女(フロラ・ルイス)は多くの人に呼びかけた。それは紛争を予防するには不十分であったが、アメリカがその後の対策を立てる上では有益だった。スリーマイル島原子力発電所の事故に関する警告と似たような効果を持ったと思う。

 もしも温暖化によって地球が非常に大きな危険に遭遇するとしたら、現代の世界では予見された危険が回避できないという運命が支配しているからだということになるだろう。冷戦時代にも、「核戦争という予見された危険は回避できない。なぜなら囚人のジレンマ構造が支配しているからである」という説明があった。核競争の経済的負担に耐えられなくなった、旧ソ連が核準備競争から脱落したという説明が腑に落ちないのは、それならどうして「核準備競争から脱落する」という予見はできなかったのかという疑問が残るからである。現在でもロシアで核実験が行われ、原子力潜水艦が新造されている。囚人のジレンマはまだ終わってはいないだろう。

 囚人のジレンマは、自分が囚人のジレンマ構造に囚われていると分かっても止められないという特質を持っている。しかし、現実的には「もうゲームは止めよう」という合意がまったく不可能だとはいえない。

 予見された危険は有効な合意が形成されることなしには回避できない。われわれの世界の基本的な構図をこう書き換えてもいいだろう。しかし「有効な合意」とは何ですかと聞かれそうである。「日本の調査捕鯨は許されるべきか」という問題について、まずどの位時間をかけたら有効な合意ができるだろうか。

 法律家は、有効な合意とは、それぞれの当事者が成人で判断能力がありと認められ、法的な拘束力を発揮するような合意であるというだろう。政治家なら、国民が十分に納得して行う合意であるというだろう。グリーンピースは有効な合意とは鯨が絶滅しない内に発動される合意であるというだろう。科学哲学者なら、科学的にみて不合理を含まない合意というだろう。

 原子力発電所は存続させるべきか。炭素税は導入されるべきか。遺伝子操作食物は市販してよいか。ディーゼル車の規制は強化すべきか。木材の輸入は制限すべきか。食糧の自給率を高めるべきか。などなど、山ほどもある問題について、「有効な合意」は成立するのだろうか。

 倫理学の課題は何かと聞かれたら、もっとも適切な合意形成とはどのようなものかという問いに答を求めるのが倫理学の課題であるといえるように思う。それは立法の方法論だと言ってもいい。倫理学の古典を探索しても、文字の上では「立法」という言葉には出会っても、立法の方法論の具体的な内容は読みとれない。何がもっとも適切な合意形成という問題は大きすぎて全貌が分からない。われわれは、巨大な眠っている怪獣の前にたって、どうしたら全体の姿が見えるのか、その足場を探しているような状況にいるのだと思う。


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