「20世紀最後の皆既月食を眺めて」

川上紳一(岐阜大学助教授・地球惑星科学)

 先日今世紀最後の皆既月食を自宅近くにある小高い丘の上から眺めた。幸い天気もよく絶好のシーイングであった。地球の大気からこぼれる光で赤銅色に輝く月は妖艶な趣がある。天頂には織り姫星(琴座のベガ)、彦星(鷲座アルタイル)、そして白鳥座のデネブが大きな三角形を描いている。夜空の星々は地球と月と太陽が演じる天体ショーにまるでアクセントをつけているかのように輝き、夏の夜空の観察者を飽き させない。

 地球と太陽と月が織りなすもう一つの天体ショーに皆既日食がある。月と太陽の見かけの大きさがほぼ等しいため、月が太陽を覆い隠す時間は月食の場合と異なり、高々4分程度にすぎない。しかし、その変化は劇的でさえある。

 部分日食からダイヤモンドリングを経て突然黒い太陽が現れる。そのまわりには太陽の磁力線の効果で見事な造形を示すコロナ。太陽表面から炎のように立ち上がる真っ赤なプロミネンス。その躍動感あふれる変化に観察者は「ワー」というため息に近い歓声を一斉に上げる。あたりは暗くなって地表の空気はひんやりし、涼しい風がどこからともなくやってくる。そして、再びダイヤモンドリングが現れ、あっという間 に元の明るい太陽に戻る。これが皆既日食を見る醍醐味なのだ。

  皆既日食を一度見ると不治の病にかかるという。次の皆既日食のときにじっとして いられなくなり、世界の果てまでも観察に出かけたくなるからだ。私は1991年初めて 皆既日食を見にわざわざハワイ島まででかけていった。もちろん日食病にとりつかれた仲間にさそわれてのことである。このときはあいにく太陽が地平線に近く、肝心の皆既の時に太陽は雲に遮られて見えなかった。うーん、残念。

 これに懲りず1995年皆既日食を見に今度はタイへ飛んだ。皆既日食が見られる地域は、地球表面のごく一部にかぎられる。だから世界中から日食を見に天文愛好家が続々と集まってきて、緊張と興奮の入り交じった異様な雰囲気に包まれながら日食の日時を待つことになる。この緊張感が黒い太陽の出現で一気に昇華され、感動に変わるのだ。

 さて、潮汐のブレーキによって、地球の自転速度は徐々にゆっくりとなり、その反 動で月は地球からわずかずつ遠ざかっている。だから時計を逆戻りさせて地球史の過 去へ遡ると、月は地球に近づいて太陽より大きく見えるようになる。地質時代にタイムスリップして日食を眺めたら皆既の時間は長くなるかもしれないが、太陽表面から 立ち上がる真っ赤な炎はまれにしか見ることはできないだろう。逆に未来へタイムスリップしたら月はもはや太陽をすっぽり覆い隠すことはできず、コロナもダイヤモンドリングもプロミネンスも見られないにちがいない。

 このように考えると、私たちは宇宙史のなかでたいへん贅沢な時代に命をさずかったことになる。その巡り合わせに新たな感動を抱かずにはいられない。


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