「木を植える ―21世紀の鎮守の森を目指して―」

宮脇 昭(横浜国立大学名誉教授・国際生態学センター研究所所長)

 21世紀はまさにIT革命の掛け声で開けようとしている。確かにコンピューターなどの情報産業は経済を活性化して我々の生活をより便利にするかも知れない。その結果、人間は生物としての備わっている足を使って歩くというような行動をしなくても、あらゆる情報を得られ、そしてビジネスができるような錯覚にとらわれている。このような人工環境の中で子どもの時から馴らされてくると人間が生き物の一員であり、さらには生きている緑の寄生虫の立場でしか生かされていないこと、つまり地球上では生態系の消費者の立場であることを忘れかねない。

21世紀で最も大事なのは技術的にあらゆる刹那的な人間の欲望が満足できるほど発展すればするほど、今まで人類が出てきて300万年間考えなくても良かった生物、動物の一員であることを見直し、また人間固有の豊かな知性や感性 、生まれてくる子どもたちの遺伝子資源を守っていかなければならないことを再確認することである。  

 人類文明6000年の歴史を見ると、森を消滅させた時に当時の最高の技術を集めて構築した都市が荒廃し、文明も消滅している。幸いにも我々日本人の祖先は長い間集落や町作りに際しても森を皆殺しをせず、水田も畑もつくって生活してきた。また燃料、有機肥料として定期的な森林の伐採や落ち葉かき、下草がりをしてきた。それがかつて日本中どこでも集落のまわりにあった里山の雑木林である。

今や里山の雑木林も少なくなっているから残すという運動がでているほどである。そして、かならず土地本来の“ふるさとの木 によるふるさとの森”を残し、守り、つくってきた。それが、伝統的な日本人の英知であった。生態学的な立場でいうと自然には触れてもよいところと人間の目のようにさわってはいけない、弱い所がある。それは山のてっぺん、急斜面、水際などであるが、そこに神社やお寺をつくってこの森を切り、水源地にゴミを捨てたらばちがあたるという宗教的なたたり意識を利用して弱い自然を残してきた。

それが“鎮守の森”として現在国際生態学会、国際植生学会でも英語にもドイツ語にも訳せないそのまま学術用語となっている。今日なお日本の各地にいわゆる都市砂漠の中の緑のオアシスのようにほっこらと樹林や森が残され、そこには必ず祠やお寺や地蔵がある。

鎮守の森は単に地域景観の主役であり、防災林・環境保全林の機能を果たすだけではない。そこには現在の不十分な科学・技術、医学で解明できない本物の自然に対する日本人の畏敬の念、こころのふるさととして奥深いものを持っているのではないか。我々は遠い昔から残し・守り続けてこられた命の森、こころのふるさとである鎮守の森を新しい産業や科学・技術によって非生物的な材料による画一的な人工環境が地域から地球規模で広がれば広がるほどもう一度見直すべきではないか。

 まさに21世紀こそいのちと環境の世紀であり、その原点は地球上のあらゆる生命集団の生存の基盤としての森である。生きた緑の構築材料を使いきって1000年以上続いた日本の鎮守の森とエコロジーをインテグレイトした21世紀の鎮守の森つくりを足元から世界に広げていきたいと願っている。


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