「楽しければいいのか?」

小田 亮
名古屋工業大学大学院工学研究科 助教授
(つくり領域/情報工学教育類・専攻)

 先日、はじめて「愛・地球博」に行ってきた。たった一日だけの見物だったが、そこで感じたのは、いったいここを訪れる人の何人が「自然の叡智」とやらを感じて帰っていくのだろうか、ということだった。たしかに各パビリオンのつくりやアトラクションは工夫を凝らしているし、各国のイベントや食べ物も楽しい。しかし、それだけである。おそらく大半の来場者はお祭り気分を味わっただけで帰っていくのだろう。わたしが行ったパビリオンがたまたま映像系の展示を売り物にしていたからかもしれないが、巨大スクリーンや球体投影システムを造ってみたものの、そこに映すコンテンツに困ったあげく、「地球環境でもテーマにしとけばいいんじゃないの」というわけで動物やら植物やらを投影している、という印象さえ受けた。

 そこで連想したのが、最近流行の「楽しい科学」のパフォーマンスである。TVなどでもよく取り上げられているが、化学反応や物理現象をタネにした、手品まがいのパフォーマンスで観客をびっくりさせ、科学への理解を深めようという活動が話題になっている。そのこと自体を批判する気はさらさらない。観客を惹きつけるだけでなく、ちゃんと背後にある現象を説明しているのだし、それによって科学への関心が高まるのなら大変いいことだと思う。ただ、わたしが危惧しているのは、楽しかった、わくわくする、だけで終わってしまうことである。自然現象を正しく理解するのは科学の基本だが、決してそれだけではない。むしろ、現象を批判的に検討し、つねに実証を試みる、という方法論の方に科学の本質はあるのではないだろうか。とくに、日常生活においてはこのことが非常に重要になる。パフォーマンスを見て驚き、その背後にあるしくみを聞いてふむふむ、となるのだが、それだけでは科学の本質は伝わらないだろう。あやしげな占いや血液型性格判断が横行するなかで、何とかして、批判的な思考とその重要性への理解を広めることが、わたしたち科学者の責務であると考えている。

 同じことが、自然保護の活動についてもいえるのではないだろうか。自然の美しさや尊さに触れることはもちろん大切である。しかし、例えば木を植えて楽しかったね、いいことをしたね、で終わってしまっていないだろうか。大事なのは、そのような個別の行為を超えて、長い目で自然界とそのなかでの人間のあり方を考えることである。それは決して楽しいことではないだろう。しかし、環境問題を解決するためには不可欠なことだ。そもそも、いまの子どもたちへの教育をみても、何かと情操的な面ばかりが強調されているようにわたしには思える。情操教育を軽視するわけではないが、物事について筋道をたてて考えたり、現象の裏にあるものを洞察したりする能力も、早いうちから教える必要があるのではないだろうか。「楽しさ」は人間の動機付けの基本にあるものだし、楽しいことには皆が参加したくなるのは当然だ。しかし、地球環境問題はもはや「自然への愛」などというものでは解決できないところまで来ている。広告代理店が売り物として使うためではなく、本気で環境問題についての活動をするのなら、単なる「楽しさ」を超えて、その先へ進んでいくことを考えなければならないだろう。


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