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能の番組の中に枕慈童(菊慈童)というものがある。
昔、魏の国の文帝がどうやらうちの領域に飲めば不老不死となる湧き水のでるところがあるらしい、さがしてまいれ、と家臣に命じる。家臣は山また山を越えててっ県という場所に辿りつく。すると、ひとりの少年が現れる。しかし、その少年の姿は子供ではあるが、髪がぼうぼうと伸び、様子がおかしい。家臣はおまえは誰かと問うと、私は周の王に仕えた慈童であるという。なんとそれは七百年も昔のことである。とんでもないことだ。いったいおまえは何者か。少年はいう。私は周の王の枕を蹴ってしまい、本来なら死罪になるところを罪減じられてこの山中に流された。そこは菊の花咲き乱れる里であった。その折り、王から毎日法華経の二句を読めとさとされた。私はその二句を菊の葉の裏に忘れぬように書きとめた。そうすると不思議なことにその葉から水がしただりおち手をあふれ、ついには谷川の水となって流れ始めた。それを掬って飲んだところ不老不死の体となった。この里のものも、みなこの水をのみ不老不死となった。
この物語りは、九月九日重陽の節句、菊の節句の原典となる物語である。重陽の節句には菊の香りを綿にうつし、着せ綿として香りを体につけることで長生を祈る。また水に香りをうつし、菊の花を酒にうかべ飲する。実は、枕慈童の薬の水とは、酒のことなのであるが、この湧き水が不老不死、つまり永遠を象徴するものとして表されている。湧き水は地下からこんこんと湧き出る。尽きることはない。したがって永遠。京都の四条室町上がるにある菊水の井も、こんこんとわく水のさまが菊の花ににているからでもあるが、実はこの物語に則した永遠を表している。
事実は湧き水がもっとも安全で、もっともおいしい。地下で浄化され適度にミネラルが含まれた水がもっとも良い。逆に川の水や湖の水のように表流水は誰がなにをいれるかわからない。危険極まりなく、よごれやすい水なのである。ばかげた事に、日本では湧き水や地下水を捨ててしまい、多くは工場用水としてただでばらまき、土壌は有害物質で汚れ、汚れた川の水、下水の流入している水を高度浄化、と称して飲まされている。まずいこと、これに類するものはない。誰がこのような馬鹿なことを押しつけたのか。水行政にかかわっている役人の識見のなさ、目の前の環境を適当につくろうことで環境保全とうそぶいた学者。そして市民は結局高いボトルウォーターを飲まされ、ついには水そのものがビジネスとなり、買うべきものとなった。薬の水はただであり、それが不老長生を育んだ。私たちは枕慈童の寓話の意味することをもう一度斟酌すべきではないか。
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