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焼き物は地球上にある粘土、磁土を人間の力で器や花瓶や生活に潤いをもたらすもの、また必要な道具となるものを作り、火の力を借りて気化、石化させる炎の芸術と言える。しかし、それらは落してしまうと壊れ、破片は捨てられて、いつしか海に流され、砂粒と化す。海辺を歩いていると時々青磁や白磁の、もう磨耗した陶片を拾うことがある。それを手にした時、この陶片の完品の姿を想い浮かべ、作られた時代、使われた状況など様々な想いが浮かんでくる。また、異国の地からたどり着いたことを思うと想像は無限に拡がって行き、とても不思議な感動を覚える。
ドイツのある大学教授の陶芸の先端技術ファインセラミックについての講演を聞く機会があった。人工骨、義歯、ナイフ、ボールペンの芯、そしてセラミックエンジン。最も硬いものは、ボールベアリングに使われているようだが、50年でも100年でも耐久力があるだろうと言われている。私は、毀れないで50年でも100年でももつものであったなら、その再製についてはどういう考えを持っているのか質問してみた。返事は現在のところ再製技術は無いのでその部品、部品を再度新製品と合わせて再利用すれば良い。といことで、私達の未来には、まだまだ使用可能なセラミックエンジンやナイフ等の残骸が朽ち果てることなく溢れていくいやな予感を持ってしまった。
私の専門とするところの先端でない陶芸の世界も大きく変化した。登り窯に代表される薪釜がすたれ、コンパクトでより火力の強い灯油、プロパン電気窯が今や主流となり、マンションのベランダや4畳半の部屋でも陶芸が楽しめる時代となった。私達の生活様式も変化し、とても効率のよい便利な生活に変わり、薪で御飯を炊くなど遠い遠いなつかしい想い出となってしまった。何ごとも簡便にすませられる時代となった今、私達は大きな代償を未来の地球に与えているのではないだろうか?
この辺で私達は効率性、合理性、快適性を求める生活に対し、自分の歩みをゆるめ、自分の力や、タレントで自分なりの生活、自分の手、足を動かし、創造性のある生活に切り代えてはいかがだろうか。夜空を見あげ星の観測もよし、自然の草花を見に外に出かけるのもよし、森の中に入って森林浴を楽しむのもよし。日常の生活とまったく違ったチャンネルを覗くことが共生の第一歩のような気がする。私は仕事柄、四季折々の草花をスケッチする。そのモチーフを丹念に観察描写して行くと、なんて自然の造形は美しいのだろうと毎回のように感動を覚える。
人と人との間の共生、動、植物との共生、地球、自然との共生には、まずお互い存在を認めあう、異文化なり異なる性格を認めあい、理解を深める行動がまず自分の第一歩の出発点となる。
近年特に登り窯等薪窯を焚くのに必要な赤松の薪が不足がちとなり、薪の調達がむづかしくなっている。それは日本各地の赤松林が枯れ始めており、旅行すると立ち枯れている松林を見るにつけ深い憂慮と不安を覚える。私達は大地から、自然からの警告に早く気づいて手を打ち始めなければならないと思う。
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