「自然環境汚染と水」
志村 史夫さん
(静岡理工科大学 物質生命科学科 教授)
水はわれわれ生物が生命を保つ上で、もっとも重要不可欠な物質である。
私事ながら、私はここ数年、水に関する研究に夢中になっていた。物質としての水は極めて単純な組成でありながら実に 奥深く、とても研究し尽くせるものではない、というのが私の正直な実感である。また、水は哲学的に見ても、 「上善水如(じょうぜんみずのごとし)」といわれるように、まさに「人生の師」というような存在である。王陽明の作とも 黒田如水の作ともいわれる「水五訓」というものがあるが、その一つに「自らを潔うして他の汚濁を洗い、清濁合わせ容るるは 水なり」がある。つまり、水はきれいなものも汚いものも、みな溶かし込み、きれいに洗い流してしまう、というのである。 実際、水は溶解能力が極めて高い物質で、固定、液体、気体を問わず、ほとんどの物質は水によく溶けるのである。 自然界のほとんどの物質が水に溶解すると考えてよい。
だからこそ、近年の地球規模での環境汚染に関するほとんどのすべての物質が水に溶け込んでしまい、われわれの生活を 支える生活用水の源水の汚染度が年々増しているのである。水道水はそのような源水を浄化、殺菌処理して供給されている わけであるが、源水の汚染度が増せば増すほど、殺菌のための塩素の投入量や塩素処理の回数が増すので、水道水の味はまずく なり、また塩素の副作用も無視できなくなる。
もちろん、「きれいな水」が必要なのは、われわれが飲む水の「味」だけのためでない。むしろ「味」など些細な問題かも 知れない。この地球上のすべての生物、そして自然環境の「健康」が「きれいな水」「自然の水」に依存していることが 深刻な問題なのである。
先般、大学のあるカリキュラムの中で、私が担当した学生たちと一緒に、雨水の性質を調べたのであるが、森林が豊富な地域と 町中で、また、高速度道路に近い所では、その汚染度において歴然とした差が現れた。もちろん、私は、知識として、 そのような差が見られるであろうことは知っていたのであるが、生々しいデータを目の当たりにして、あまりの歴然さに 驚かされた。雨水は一種の「蒸留水」だから、本来は清浄な水である。水蒸気が空で凝固し、地上に降りてくる間に、 さまざまな大気汚染物質を溶かし込んでしまうのである。いわゆる「酸性雨」もそのような大気汚染の産物である。だから、 雨水の汚染度は大気、そして広く自然環境の汚染度の直接的な指標なのだ。
物質としての水や哲学的な水については、まだまだたくさん書きたいことがあるのだが、残念ながら紙幅が尽きた。 御興味のある方は、拙著『「水」をかじる』(ちくま新書)を読んでいただきたい。
◆プロフィール
しむら・ふみお/1948年東京駒込生まれ。74年名古屋工業大学大学院修士課程終了(無機材料工学)。 82年名古屋大学工学博士(応用物理)。日本電気中央研究所、米国モンサント・セントルイス研究所、 ノースカロライナ州立大学を経て、93年より静岡理工科大学教授、ノースカロライナ州立大学併任教授。 長らく半導体結晶物性研究に従事したが、現在は、インド哲学、日本古代技術、現代物理(量子論、宇宙論)、 生物機能などにも興味を広げ、さらに道楽研究として、水、日本刀、古代瓦、オカリナなどもテーマとしている。 著書は、理工系・人文系合わせて38冊!
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