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後世の歴史家が現在を記述するとすれば、現在の世界は、歴史的な転換点を迎えていると記述することでしょう。2007年に発表されたIPCCの第4次報告書は、「最近の地球温暖化に関する人間活動の寄与は、ほぼ確か」と記述し、新たな行動の時代の始まりを訴えました。連日の報道などでも、地球温暖化や温室効果気体の削減策に関する話を聞かない日は無い、というような状況です。
確かに、20世紀後半の「大量生産・大量消費・大量廃棄」という爆発の時代から決別して21世紀にふさわしい「サステイナブルな社会」を確立しなければダメだ、という認識は多くの人に共有されてきたように思われます。いずれにせよ、新しい時代に向けて活動してゆかなければならないことは確かのようです。
このような話を聞くと、「大変だ、できっこない」という反発や、「将来はどうなるだろう?」という不安を持つ人が多いかもしれません。しかし、このような状況を前にして萎縮する必要はありません。人類にとって、このような新しい状況にさらされることは初めてではありません。
たとえば、明治維新を考えてみてください。鎖国という旧来の状況が黒船の登場により根本的に変えざるを得なくなったのです。そして、その後の対応のジグザクは、歴史書が記述するとおりです。太平洋戦争後の復興も、また、同じように大変な時代だったのです。言い換えれば、人類にとっては、安穏に暮らせる時代などは、「夢のまた夢」といっても良いと思います。つまり、人類は、日々起きてくる挑戦に果敢に挑戦し続けた結果として今日の状況があるのです。
もちろん、問題は異なります。状況も異なります。ですから、昔のことを現在の状況に簡単に応用できる、と考えるのには短絡的です。
しかし、問題や状況は異なるとしても、対応する人間はそれほど変わるわけではありません。勇気、度胸、尊敬、愛情、無責任、嫉妬、羨望、などなどの人間の心の動きは、同じはずです。とすれば、過去の人間が、このような問題のときにどう考え、どう行動したか、ということを学ぶことには意義があるはずです。しかも、歴史では、結果も知ることができるのです。
そのようにして歴史を見てみると、状況の変化への対応は、いかに多くの人の多様な活動の結果として起きていることが分かります。つまり、状況に対してひとつの回答が見つかったのではなく、多くの対応策が提案、実施され、現実とのやり取りの中で、ある種の対応策が生き残ってゆくのです。これは、生物の進化の過程と似ています。つまり、多様な遺伝子の変異が、環境の選択を受けて選ばれてゆくのです。したがって、我々の責任は、他人の意見に引き回されることではなく、自分で考えた提案を行ってゆくことなのでしょう。
そして、このような多様な取り組みの中から、最適な解を選んでゆくということが重要と思います。決定する過程で、自分の意見にこだわることなく、大局的な観点から合意形成を図ることが大事であると思います。このことが、「和して同ぜず」の意味なのでしょう。昔の人も苦労していたのです。
2008年7月4日掲載
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