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富山和子さん=写真=は水の問題を森林や土壌の問題まで深め1974年に環境問題のバイブルと言われる「水と緑と土」(中公新書)を出版、以来日本独自の文化を含めた総合的な視野で環境問題をとらえ、一環した鋭い提言を行ってきた。私たちが蛇口をひねれば、当たり前のように流れ出てくる水、その水の原点についてお話しを伺った。
水は労働の産物
私たちが日頃使っている水はどこから来るのか、多くの人は「山で降った雨が川となって運ばれてくる」と答えるだろう。では、一体川の水はどうしてなくならないのか。まずはそのことを思い起こして欲しいと富山さんは言う。「日本列島は決して水が豊富だったわけではない。むしろ太古の時代から不足していた。それにもかかわらず今日私たちが水に不自由しないのは、数千年に渡り先祖たちが並々ならぬ努力をして水を作ってきたからだ」日本の河川はとても急流で短く、降った雨を一度に海へと流してしまうという特徴を持つ。
私たちの先祖はこの河川に頼りながら、血を流すような治水事業を行い独自の文化を形成してきた。今私たちが目にする河川のうち人為的事業を経ていないものはほとんど無いという。
しかしながら、川の水は何故なくならないのか。富山さんは、先祖が代々行ってきた米作りにその答えがあると言う。室町末期から江戸中期にかけて大規模な治水事業が行われ多くの水田が作られた。人々は水路を築き水田まで水を運び、そして河川の氾濫から水田を守るために木を植えた。
水田の水を確保するためにも山に木を植え続けた。なぜならば森林は雨水を貯えるから。もしも森林がなければ、雨水は受け止められることなく、一度に海へと流れ出てしまう。そればかりか、洪水となって多くの水害をもたらすだろう。森林があることによって水は貯えられ、貯えられた水は地下に浸透し、やがて地下水となって湧き出し川に水を提供する。
また、水田に引かれた水も、水田がいわばダムの役目を果たすことで貯えられ、ここでも水は地下水となって下流の川を潤す。もう1つ大切なことがある。それは日本人は木を切っては植え、木を絶やさなかったという「木を植える文化」を培ってきたことだ。
この脈々と受け継がれてきた「木を植える文化」を背景に人々は山の緑を守り続けてきた。敗戦前後の禿げ山と化した荒廃した山々も、山村の人々の努力によって緑を取り戻したことは言うまでもない。こうして作られた森林や水田は、水作りに欠かせない豊かな土壌も形成した。
手をかけ丹念に育てられた森林の産物である土壌は、汚物を処理する役目も果たしながら水を養い、安定した水の供給をもたらした。いわば土壌があってこそ水は作られてきた。
このように人々は米作りを通し、豊かな森林と土を作りながら、水を使うことで水を生産してきたのである。水の原点とはここにある。川の水がなくなることなく、私たちが水に困らないのは、こうした先祖の努力があったからだと富山さんは語る。ところが今、雨水を貯えてきた山々は日本列島有史以来の大きな危機に直面している。それは森林を育て守り続けてきた、山の担い手が失われてしまったことだ。
木の文化を復活させよう
江戸時代まで日本人には「自分の水は自分で作る」という思想があった。「農民は米を作るために、山に木を植え森林を作り、豊かな土を作った。そして、米作りに欠かせない水を得ることが出来た。決して始めから豊かな水があったわけではない。先祖の力で今日までなんとか持ちこたえてきた」と富山さんは重ねて強調する。
ところが、現在国土の7割を占める森林はその担い手を失なってしまった。昭和30年以降、木材の輸入が開始され、安い外材は林業を、山村を潰し始めた。山の若者は流出し、町で都市化と工業化を進める労働力となった。町村合併がいたるところで押し進められ更に山村を追いつめた。林業が崩壊した日本の山々では、丹念に育てられた木々が外材におされ、切られることなく余り余った状態だという。切られず放置された木々は、今日森林荒廃の原因とまでなってしまった。
森林を守ってきた山村の人々は、すなわち水を作ってきた人々。その山村の人々を失うことは、豊かな土壌とその産物である水を失うことだ。そのつけが、まさにこれから私たちに襲いかかろうとしている。ところが、そのような瀬戸際に立たされていることさえ、気づこうとしない。
「明治以降、水はH2O、すなわち化学的なものと捉えられ、自然物であり公共の物であると考えられるようになってしまった。木を植えることで得られてきた過去の歴史は忘れさられてしまった」と富山さんは指摘する。
工業化の名のもと、山村の人々が作り続けた水が大量に使われ、日本は高度経済成長を遂げてきた。この恩恵に対して私たちは、山村の人々に一切金銭を払うことはなかった。苗木1本の料金さえ払おうとしなかった。日本の水行政は、水を作っている人々への費用を切り捨ててきたのである。こうして林業は崩壊状態に追い込まれ、今や山々は荒廃の一途を辿っている。
農業や漁業でも同じことが進んでいる。とりわけ米作りに関して言えば、大幅な減反政策が進められ、このままだと水を貯めていた水田も徐々に失われてしまう。それは水を失うことでもある。
日本の森林は米が作った
山村の人々を守らなくてはならない。人々が山に踏みとどまるような環境の整備を急がなくてはならない。そして若者を引き留め、にぎやかな山村を取り戻すことが不可欠だ。林業だけではなく、農業も漁業も守り続けなければならない。
林業、農業、漁業はお互いに助け合って水と土壌を作ってきたからである。「21世紀の資源は水と土」と富山さんは30年前から主張し続けてきた。日本人は必死になって優れた土壌と水という、世界に誇れる資源を作り出した。日本の資源は?と問われたら私たちは何と答えるだろう。今あらたに水と土という資源があることを自覚し、将来に渡り守り抜いていくことが私たちに求められているといえよう。
富山さんは、林業、農業、漁業を守り、日本列島の山紫水明を作り上げ、それを守り抜いてきた人々の知恵と文化を次世代に伝えたいという願いから、日本各地の農村を中心とした素晴らしい風景写真に御自身の理論を添えたカレンダー、「富山和子が作る日本の米カレンダー、水田は文化と環境を守る」を、13年前より作り始めた。
カレンダーは今や国際ブランドとして、社会に水田への目を開かせ、棚田を守る運動を巻き起こした。ところが一方で、豊かな田園風景は確実に失われつつある。「被写体となる風景がなくなってきた。減反で広々とした水田はあまり見られなくなってしまった」と富山さんは語る。「雑草で覆われた水田を見る度に、農業をやったことのない私でさえ心がすさむ。そこで実際やられていた人の心はどれほどすさんでいることか。それを思うと心が傷むばかりだ」水の原点について話しを伺った最後に、富山さんがポツリと言ったこの言葉が未だに忘れられない。
◎富山和子さんの書籍より多くのことを参考とさせて頂いた。
「水と緑と土」(中公新書、1974年)
「水の文化史」(文藝春秋、1980年)
「日本再発見、水の旅」(文藝春秋、1987年)
「日本の米」(中公新書、1993年)
「水と緑の国、日本」(講談社、1998年)
「環境問題とは何か」(PHP新書、2001年)
「富山和子が作る日本の米カレンダー、水田は文化と環境を守る」(2002年版)
◎カレンダーのお問い合わせは、サン制作、03・3669・8376まで。
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