ワビスケ

今年の冬は厳しい寒さが続いていますが、さらに厳しくなる季節を迎えました。この時期は多くの植物たちはじっと春を待っていますので、瑞々しい樹木や花を探すのは苦労します。それでも寒さに負けず清楚な『ワビスケ』の姿を見ると何となく勇気がでてきます。ワビスケはお茶花として昔から人気がある花です。

真っ白なワビスケを一輪、飾り気のない陶器の花器が活けて床の間に飾った部屋でお茶をいただく姿を想像してみましょう。私にはお茶の作法など全くわかりませんが、なんとなく最高の贅沢な雰囲気があるではありませんか。また、この部屋には、こたつもよく似合いそうですので、向かい合い遠来の友と杯を傾ける姿をものも絵になるはずです。

ワビスケは椿の一種ですが普通の椿とは違い、花は八分程しか開きません。そこが、お茶をたしなむ人達が愛する人たちに、奥床しさとしてこよなく愛される理由だろうと思います。またこの花の持つ風格が、たった一輪で十分な雰囲気をつくります。

豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した際、何とか侘助という家来が持ち帰ったという説がありますが話ができ過ぎていますのでどうも信用できないような気がします。むしろこの花の持つ『侘しさ』が茶人に好まれ、芸道に通じる『好き』、あるいは『数奇』という言葉をつけた『侘び好き』あるいは『侘数奇』が『ワビスケ』と訛ってきたと考えた方が良さそうです。

茶道は千利休が大成させたと言われています。利休といえば、織田信長や豊臣秀吉などの武将を連想します。戦国の明日をも知れない命のやりとりをする世にあって、武士たちは一服の清涼を茶に求めたのではないでしょうか。私は、開ききって落ちるヤブツバキの仲間とは違い八分の開きかげんで、その花の生涯を終えるこのワビスケの花に、その当時の武士達の虚勢というか、考え方の底流を感じています。

和風の庭園はそこに佇むだけで心が落ち着きます。狭い空間を最大限利用して、自然を表現しょうとする工夫は、現代に生きる私たちにも、素晴らしい示唆を与えてくれているように思えます。

その日本庭に欠かせない植物は、松と梅と竹ではないでしょうか。一年を通して緑を保ち、独特の樹形を持つ『松』の神々しさ、寒気の中で一輪また一輪と咲く『梅』の力強さ、真っ直ぐにどこまでも延びる『竹』の雄々しさ、今でもお正月の飾りや、おめでたい席での主役をつとめている理由がよくわかります。

江戸時代から、武家屋敷の庭には、これらに『桜』と『椿』が加わると言います。桜吹雪と表現される散り際の見事さと、花そのものが一度に落ちる椿の性質が、当時の死に方の美学を求めた武士道に合っているからだと思っています。しかし、武家屋敷の椿は『ワビスケ』ではなく、ヤブツバキの仲間です。

戦国の世とは武士道の考え方が変わり、武士はいつでも主君のため、お家のために死ぬ心の準備ができており、そのため絶えず今が人生の満開の状態であり、そのまま散りたいという願望が底流に流れているからかも知れません。(杉)