ドングリに想いをよせて

 今年も早、季節は秋になりました。9月にはhand in handの活動が展開されます。全国でいろいろな種類の樹木の植樹があると思います。ドングリの苗木を植えるグル−プも多いと思います。そこで今月は『ドングリに想いをよせて』という題で書いて見ることにしました。

 ドングリというのは、クヌギ、コナラ、アラカシ、ウバメガシ、マテバシイ、スダジイ、ミズナラ、ウラジロガシ、シラカシ、カシワ、などの木の実です。私たちもドングリを求めて森に入ることにしませんか。

森に一歩足を踏み入れてクヌギやコナラの実を探してみましょう。クヌギやコナラは『ドングリコロコロ』の童謡に歌われた典型的なドングリです。それほどクヌギやコナラの木が目立たないのに、なぜこんなに多くの実が落ちているのでしょう。こんなお話知っていますか。

  植物が種を維持し続けるために、それぞれ工夫をしています。茎を地中に伸ばして殖やすものもありますが、多くの植物たちは種子を作って子孫を残します。

 タンポポは綿毛となって風にいずことなく運ばれ、イノコズチやアメリカセンダングサなどは動物の毛に絡みついて、行き先はお任せの旅に出るのです。これら草の種子は、どこに運ばれてもその地で芽を出し繁茂するほど強い生命力を持っています。

 しかし、ドングリのような樹となるとそうはいきません。一度芽を出すとよほどのことがない限り五十年・百年は当たり前、樹木によっては五百年・千年という長い長い風雨に耐えなければならなります。一旦大きく育ち枝葉を伸ばすとそのしたには太陽の光が届かなくなります。そこでは日陰でも生き抜くことのできる植物しかの生きていけない世界になってしまいます。たまたまそこで芽生える幸運にめぐり会えたとしても、大樹が枯れるまでは決して成長することができません。

 ですから、ドングリの仲間の木は自分のまわりに自分の種子を落としても育つことができないことを知っており、できるだけ遠くに、しかもバラバラに自分の種子を運ぶことによって次の世代の繁栄を画策する本能を持っていると考えられています。

 ドングリの実がまん丸だったら、落ちた実は同じ方向にころがってしまいます。風がふいても同じです。同じ場所に大量に集まったら、リスなどのドングリを食餌にしている動物によって、全て食べつくされるにちがいありません。だから、あのようなそれぞれに工夫された形を持ち、できるだけ不規則にしかも親の木から、できるだけ遠くに運ばれやすくなっているのだそうです。

 ドングリにとって待ちわびているのが台風だといいます。強い風で落とされたドングリは大雨によって、遠くに流されその地で新しい命を育む絶好の機会となるからだそうですが、台風にはこんな役目もあるのであるのですね。
 
もう一つドングリが待っていることが、子ども達に拾われることのです。一部はコマなどに使われてしまいますが、多くは校庭や庭という全く新しい環境に捨てられ、そこに根を下ろす機会に恵まれるからですって・・・・。

ドングリを芽生えさせることはそれほど難しくありません。ぜひ、ドングリを拾ってきて自分で芽生えさせて、大きく育ててみませんか。そしてその苗をどこか素敵な場所に植えるって考えただけで楽しくなります。来年のhand in hand には自分で育てた苗を植える人がたくさん生まれることを期待しています。(杉)