ともいき
慶應義塾大学名誉教授・東北公益文科大学大学院教授(研究科長)  間瀬啓允

アメリカの社会心理学者で『生きるということ』という本を書いたフロムさんは、「現代人は何でもかんでも自分の手の中に納めなくては承知しないという所有中毒にかかっている」と言いました。そして、この中毒症状から抜け出すには、かつて日本人が大切にしていた存在価値に目覚めることだと言って、「所有」から「存在」への価値観の転換を提言しました。フロムさんは、芭蕉の「よく見れば なずな花咲く 垣根かな」を引用して、この俳句の心は「花を摘んで手に持つことを望まず、ただ見るためにじっと目をこらしている。小さな草花の存在そのものを愛でて、この草花と<ともいき>している」と感歎の声をあげました。

そうです、芭蕉の心は、手に花を持つことなく、また持とうと望むこともなく、ただひたすらに、「花」のいのちと一つになって生き、動き、存在していることを喜んでいるのです。共に在って(共在)、共に生きる(共生)ことを喜んでいるのです。これが日本人の伝統的な心の在り方なのですね。

私たちが生きているこの時代は、「共に在って共に生きる」ということに高い価値を見出すような、そういう「ともいき」の時代なのです。けれども、当面の課題は夢や希望につながる創造や、新たな活動を芽吹かせるような状況を造り上げることです。不況だからこそ、協力し、連帯して、共生(ともいき)していかなくてはなりません。いまフランスを中心に、ベルギー、スウェーデンなど、EU諸国のあいだでは、「ともいき」を重視する連帯社会構想が持ち上がっています。不況下だからこそ、そうした構想が持ち上がってくるのですね。

「ともいき」は「つながり」ということも意味しています。「人、ひとり立たず」(Man does not stand alone.) といいますが、「人」という字を見ると、そのことがよく分かりますね。二本の棒がささえあって、人という字はできています。「ささえあう」というのはつながって、ともいきしている、ということなのです。

人と人、人と自然がつながっているということは、人が自分を超えて他の人の活動に参加し、連帯している。人が自分を超えて自然のいのちの営みに参加し、連帯し、ともいきしているということです。いま「まちづくり」「森づくり」「ふるさとづくり」が大事にされているのも、こういう理由からではないでしょうか。