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◆埼玉県  5山

 

11・1. 富士山(ふじやま)  183m  比企郡小川町大字角山大塚

          <鉄道:八高線・東武東上線小川町駅  道路:国道254号 小川町駅>

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11・2 弟富士山(おとふじやま)  380m 秩父市荒川日野

                 (*地図上不明:秩父鉄道武州日野駅浅間神社近く)

          <鉄道:秩父鉄道武州日野駅  道路:国道140号 武州日野駅>                                                       

標高385mの低い山で、麓には浅間神社が鎮座され、山頂には奥社が、またやや下った所には虚空蔵岩と呼ばれる巨大な岩があり、ここからは秩父市内の素晴らしい眺望を楽しめます。

 

11・3 富士山(ふじやま)

     平沢冨士(ひらさわふじ)  221m  日高市大字北平沢、高麗川カントリークラブ近く

          <鉄道:八高線高麗川駅  道路:県道30号 高麗橋、 国道407号 高萩>

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11・4 荒幡富士  119m  所沢市大字荒幡、荒幡市民の森内

          <鉄道:西武新宿線西武園駅、 西武狭山線下山口駅  道路:国道463号 西所沢駅>                                                         

明治17年に戸数わずか100足らずの荒幡村の村民が、今迄ばらばらだった人心を一つにしようと、 農閑期をみて、土を盛ること、なんと16年延べ1万人を動員して、築きあげた人工の富士山、富士山を信仰の対象とする富士講のシンボルとしての、いわゆる典型的な富士塚です。 地元の人達には「荒幡のどろっぷじ」とも呼ばれ親しまれてきました。所沢市の緑地保全エリアとして昭和59年に開設した「荒幡富士市民の森」のシンボルともなっています。
 標高119mのこの富士山は明治17年から32年まで足掛け16年をかけて、富士講を信仰する人々を中心に近隣の人々が土石を運んで作り上げた塚で、荒幡富士塚とも言われています。山自体の高さは約18m(登山口の石碑には「積み上げた高さは60尺に達す」とある)、富士塚としては日本でも最大級のものです。麓には本物の富士山と同じように「浅間神社」も建っていて、登山道には○号目の標識もあり、頂上は360°の眺望、ちょっとした登山気分も味わうことができます。
 もともと、現・所沢市内の荒幡村は、明治24年に吾妻村の一部となりましたが、小字ごとに鎮守があり民心が統一されないおそれがありました。そこで、合併に先立つ明治14年、三島神社、松尾神社、氷川神社、神明神社の4社を村社として浅間神社に合祀しました。このような神社合祀による、村民の民心統一は明治政府の意図したものであり、全国的に行われていました。
 さらに明治17年、村民たちの手によって、浅間神社境内にあった富士山をさらに大きくして移築することになりました。本来、富士山築造は富士山信仰の氏子たちによって行われるものです。しかし、この浅間神社の富士山移築は、民心のさらなる統一をはかるために行われた事業でしたので、同年2月から村に住む青年たちが中心となって起工すると、近隣の村からも信徒が加わって、延べ1万人が参加したといわれています。青年たちは、農閑期などに総出動し、もっこ(持籠)に土を入れてバケツリレーのように運び、ざるに土を入れて積み上げてゆきました。すべてが村民たちによる手作業でした。この長く辛い共同作業によって村民の心はひとつになっていきました。そして明治32年に荒幡の富士は完成しました。この頃、人工の富士山は数多く造られましたが、荒幡の新富士は「東京付近随一の傑作」と称されています。大正12年、関東大震災で8合目まで崩れましたが、2年がかりで修復されました。
 現在は、所沢市の指定文化財となり、地元、荒幡富士保存会の方々によって管理保存されています。狭山丘陵の稜線上に築かれた頂上から望む雄大な景観は格別です。明治の文豪、大町桂月は、何度となくこの地を訪れ、この眺望を褒め称えたとのことです。大正10年3月には、大町桂月の撰文で、「荒幡新富士築山の碑」が建てられています。 近くには宮崎俊監督の映画「となりのトトロ」の舞台となった狭山丘陵がひろがり、最近では久米の水天宮から荒幡の富士、生き物ふれあいの里センター・狭山丘陵へと続く所沢の散策コースとしても名所になっていて、それぞれの季節に多くの方々が訪れるようになりました。


夏の荒幡富士 夏の荒幡富士
春の荒幡富士 春の荒幡富士

 荒幡富士のある所沢市吾妻地区は、明治時代に周囲の村が合併して吾妻村となりました。合併に先立ち、それまで小字ごとにあった鎮守を村社浅間神社に合祀しました。さらに村の和を増大させるため、明治17年から明治32年にかけて村民共同の作業により荒幡富士は築造されました。現在の荒幡富士は所沢市指定文化財となっています。狭山丘陵の稜線上に築かれた約10メートルの富士からの眺望は素晴らしく、また周囲は「荒幡富士市民の森」や「狭山丘陵いきものふれあいの里」として整備されています。観光情報の詳細は、所沢市役所ホームページをご覧ください。


 毎年7月1日に山開きを行っています。また、荒幡富士については、「所沢市史 文化財・植物編」「ところざわ歴史物語 所沢市史ダイジェスト版」などに詳しく掲載されています。閲覧は所沢市役所市政情報センターや所沢市立図書館などですることができます。

 地元住民を主体とした「荒幡富士保存会」が結成され活動しています。保存会の詳細についてお知りになりたい場合は、所沢市教育委員会文化財保護課へお問い合わせください。

(所沢市教育委員会 文化財保護課 清水)

 

11・5 富士山(ふじやま)

     間野富士山     290m  飯能市大字上直竹下分

                 (*地図上不明:県道221号南高麗バス停留所近く)

          <鉄道:八高線東飯能駅、 西武池袋線飯能駅

          道路:県道221号 南高麗連絡所、 国道299号 東飯能駅>

間野富士 埼玉県飯能市

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