「富士山」逸話あれこれ

12. 銭湯に富士山の絵を描いたのは誰?

 

 家庭に風呂があるのが当たり前になり、最近はめっきり数を減らした銭湯。若い人の中には、行ったことがないという人もいるかもしれない。

 

 銭湯の歴史は古く、時代は平安時代にまでさかのぼる。

 都の外れにたまたま湯が湧き出たために、その使い道として公衆浴場を作ることとなった。これが評判になり、江戸時代に受け継がれ、「湯屋」としてその姿を現した。当時の銭湯は、今のような首までつかるスタイルではなかった。湯は膝ぐらいの深さで、入り口が狭く、湯気を逃さないような構造になっていて、建物の中は視界が悪くなるほど湯気が充満していた。男女混浴だったが、姿はほとんど見えなかったのだ。

 江戸時代後期には江戸の町だけでも6000ちかくの湯屋があったと言われている。

それが現在、東京にある湯屋の数は約1000軒ほどだ。

 そんな銭湯のイメージとして、誰もが思い浮かべるのは「富士山の描かれた壁画」ではないだろうか。大きな富士山の絵の下で、大きな湯船にのんびりとつかる。少し前までは、どこでも見られた日本の癒しの光景だ。

 だが、いつ誰が最初に富士山を壁に描くようになったのだろうか?ここではその歴史を振り返ってみたい。

 最初に銭湯の壁に富士山が描かれたのは大正元年、1912年のことだ。東京神田にあった銭湯「キカイ湯」の主人が、川越広四郎という画家に壁画を依頼。川越は静岡県の出身で、富士山を好んでいたことから壁画にも富士山の絵を描いた。これが、銭湯に富士山の描かれるキッカケだ。

 富士山の壁画はたちまち話題となり、あちこちの銭湯の壁にも富士山が描かれるようになったというわけだ。日本人はやはり、今も昔も富士山が好きなのだ。

「ペンキ絵」と呼ばれるこの壁画の技術、現在でも受け継がれているが、その絵師は数名だけになってしまったという。銭湯の数も減り、なかなか寂しいことだ。

(株式会社彩図社「富士山」99の謎より)

 

 

 

自由に検索 → 
「リンク(参照先)など」

「出版社名」 「書名」
します。



富士山逸話あれこれを