| 16. 日本最高峰は富士山 じゃあ日本一低い山は? |
山というのは、もともと平地より高く盛り上がった部分のことだ。では、どのくらいの高さからを山と呼べばいいのだろう。地図で見ればほとんど平地ばかりの東京でも、あちこちに阪があって、けっこう高低差があることがわかる。坂道を上るならそこは山なのだろうか。それに昔の人は「西郷隆盛の銅像がある上野のお山」などという呼び方をしてきた。あれも山なのだろうか。
ここで、地形図に「山」という名前で掲載されているものすべてを山と定義して、探してみよう。
2万5000分の1の地図では、1996年まで仙台にある日和山がいちばん低い山だった。高さわずか6メートル。階段がついていて14段上った頂上には、江戸時代に遠州浜松から運ばれたという松の木が植えられている。
伊達氏が築いた大砲場の跡で仙台湾に面しているから、漁師たちが潮の様子を見るのに使ってきたという。明治時代の末に襲った津波で山の半分が流出したとき、村人が土盛りをして富士山にならって円錐形にした。しかし、昭和30年代に臨時気象観測所がつくられたときに頂上が削られて、今はすり鉢を伏せたような形になってしまった。
日本一低い山ということがわかってから、7月1日の富士山の山開きに合わせて、この日和山でも開山式典が開かれてきたのだが、1996年に国土地理院が改訂した地形図で、さらに低い山が登場した。
それが大阪市の天保山。高さがたったの4.5メートル。大阪港に注ぐ安治川河口にあって、天保3(1832)年の安治川開削による浚渫工事の土砂を積み上げてできた人口山だ。
今は天保山公園になっていて、「海遊館」という水族館もでき大坂版ウォーターフロントといった趣だが、かって葛飾北斎が絵にしたこともあるという由緒ある山。
昭和30年代ころまでは地図にその名をとどめていたのだが、いつのまにか消えていたのだ。
そのことに気がついた山のデータマニアの指摘で、大阪市と国土地理院が話し合い、ちょうど改訂中だった『大坂西南部』の2万5000分の1の地図に、三角点つきめでたく復帰したのである。
(河出書房新社「日本地図の楽しい読み方」より)
◎ どうして「日和山」が各地にあるのか
「日和見」という言葉がある。この言葉は今日では、ことの成行きを窺う、去就をなかなか決しない、二股をかけるという、ネガティブな意味に使われている。
だが、もともと日和見は悪いことではなかった。それは肯定的なことだった。なぜかといえば、日和見の「日和」は天候(天気)のことで、日和見とは本来は日和を見る、天候を観測することだったからである。
「日和山」と呼ばれる山が全国各地にあり、そのほとんどは海の近くに位置している。たとえば三重県の志摩半島や、静岡県の伊豆半島には日和山という名の山がいくつもある。それらの日和山は高い山ではない。たいていは100メートル以下の小高い山である。この日和山は日和見と関係がある。
江戸時代において、海運が盛んになると、海運業者たちはその日の空模様を正確に知ることが必要になった。そのため港の近くの眺望のきく小高い山に登って、天候や風向きなどを観測し、船を出していいかどうかを判断した。すなわち日和を見た。そこから、その山は日和山と呼ばれた。
かつて日和山と呼ばれた山の中には、その名を変えているものもある。だが、まだ各地に日和山という名で存在している。その中には、十二支によって方位を示した方角石が残っている山もある。
(毎日新聞社刊「日本人として知っておきたい地名の話」より)
