「富士山」逸話あれこれ

42. 『伊勢物語』 時知らぬ山

 

 『古今和歌集』の巻第九・羇旅歌を見ると、僅か十六首しか収められていないこの巻に、三首も在原業平の歌が含まれていることが知られる。それらは、

  唐衣着つつなれにしつまあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

  名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

  狩りくらしたなばたつめに宿からむ天の河原にわれは来にけり

 の三首で、いずれも詳細な詞書を伴っている。これのみならず、巻第十五・恋歌五の巻頭歌、

  月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして

 といういわば彼の代表歌にしても、その詞書は極めて詳細で、しかも物語的である。いずれの場合でも、歌物語『伊勢物語』の叙述と重なる点が多いのである。これらの事実は、『古今集』の撰者たちが『伊勢物語』のような物語的な記述を多分に有する資料から業平の作品を選んだと考えると、説明しやすい。けれども、現在われわれが読んでいる『伊勢物語』には、明らかに『古今集』の成立以後作られたとしか考えられない歌物語も含まれている。『古今集』の撰者たちが資料としたものはおそらく業平の歌を集めた歌集のごときものであろう。それがすでに相当物語的叙述を含んだ、いわば「原伊勢物語」とでもいうべき性格のものだったので、『古今集』での業平の歌の詞書が多くの場合物語的であるのも、その原資料の面影を伝えているのであろう。そしてその「原伊勢物語」は、『古今集』の成立後も増補が続けられて、現在われわれが読んでいる『伊勢物語』にまで成長したと思われる。その成長はおよそ十世紀の半ば頃、村上天皇の天暦年間(九四七-九五六)頃までは続いたのであろう。『古今集』と『伊勢物語』との関係については、現在はこのように考えられている。
 初めに引いた「唐衣着つつなれにし」の歌は、三河の国で杜若(かきつばた)の五文字を折句として詠み入れた歌、「名にし負はばいざ言問はむ」の詠は武蔵と下総の境をなしていた隅田川のほとりで都鳥に訴えかけたもので、『伊勢物語』にも見え、ともに業平の作としてよく知られている。
 ところで、三河の国を経て武蔵野の国まで下ったのならば、当然東海道を旅したことになる。それならば業平は富士山を仰ぎ見たに違いない。けれども、すでに見たように、『古今集』で富士山を詠み入れた五首の中に業平の歌はなかった。業平は富士山を歌っていないのだろうか。
 『伊勢物語』の第九段、いわゆる東下りの段には、「唐衣」と「名にし負はば」の二首の間に、主人公の「男」の駿河の国での歌二首も含まれているのである。

   行き行きて駿河の国に至りぬ。宇津の山に至りて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦かへでは茂り、もの心細く、すずろなる目を見ることと思ふに、修行者あひたり。「かかる道はいかでかいまする」といふを見れば、見し人なりけり。京に、その人も御もとにとて、文書きて付く。
    駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
   富士の山を見れば、五月(さつき)のつごもりに行きいと白う降れり
    時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらん
   その山はここにたとへば、比叡(ひえ)の山を二十(はたち)ばかり重ね挙げたらんほどして、なりは塩尻のやうになんありける。

 『伊勢物語』より遥か後、鎌倉時代の初めに撰ばれた『新古今和歌集』はこの二首の歌を業平の作として採っている、『伊勢物語』の「男」は業平であると見なしてのことである。それに、『伊勢物語』だけではなく、『業平集』のほとんどすべての伝本にも、「時知らぬ」の歌は載っている。
 けれども、「駿河なる」の歌は『業平集』には見えない。そして、『古今集』撰者の一人壬生忠峯の『忠峯集』の伝本には、下句を「夢にも人を見でややみなん」という、ほとんどそっくりの歌を載せているものもある。
 『伊勢物語』同様、『業平集』も増補されたり改編されたりして、その最初の姿はうかがうことができない。そして、何といっても『伊勢物語』は物語なのである。そこで語られている「男」の行動がすべて業平自身の行動であるという保障はないのである。それは『古今集』撰者が資料としたであろう「原伊勢物語」のごときものについても言える。となると、宇津の山で修行者に逢ったことや五月のつごもりに雪を戴く富士山を仰ぎ見たことだけでなく、三河の国八橋で杜若の折句を詠んだことも、隅田川のほとりで都鳥に訴えかけたことも、虚構ではないかと疑えば疑えなくはないということになってくる。実際、近年の研究では、業平の東下りは事実とは考えられないという意見が相当有力視されているのである。
 結局、業平が本当に東海道を旅して、盛夏の頃なお白雪を戴く富士山に「時知らぬ山は富士の嶺」と感嘆の声を放ったのかどうかは、わからない。けれども、『古今集』が歌の規範とされ、『伊勢物語』が「在五が物語」として業平の一代記のように考えられていた平安時代の中頃には、そのことを疑う人はほとんどいなかったであろう。

(株式会社文藝春秋刊、文春新書「富士山の文学」より)

 

 

 

自由に検索 → 
「リンク(参照先)など」

「出版社名」 「書名」
します。



富士山逸話あれこれを