| 54. ラフカディオ・ハーンの富士山 |
それでも、夏目漱石がちょっと皮肉ってみせたぐらいでは、英国人を中心とする外国人の富士礼賛の流れが変わるわけでもない。そうした外国人の富士礼賛の代表にラフカディオ・ハーン(小泉八雲、一八五〇~一九〇四)を挙げることは不当ではないだろう。
アイルランドで育ち、アメリカで新聞記者、文筆家として活動していたラフカディオ・ハーンが、初めて日本に来るのは一八九〇年、明治二十三年のことである。このとき、ハーンは鉄道でニューヨークからカナダのバンクーバーに出て、そこから横浜まで船の旅をしている。バンクーバーに至るまでの車窓の風景で、ハーンはカナディアン・ロッキーの壮麗な白い峰に魅了されている。それから十数日の単調な、荒涼とした洋上の旅を続けた末に眼にした富士山の神秘にして壮麗な姿を、ハーンは形容の限りを尽くして描いている。
まず、しみ一つない頂の部分が不思議な花の蕾(つぼみ)の尖端(せんたん)のように淡紅(とき)色に染まり、それから一面金色(こんじき)の混じった白色となる――やがて頂から真直(まっす)ぐ下へ延びる線が見えてくる――雨が急流となって流れ下った痕(あと)である。山全体が朝の光に包まれている――その下のくっきりと青い山脈がまだ一向に夜の眠りから醒(さ)めぬというのに。しかし日射(ひざ)しの明るさの中にあってさえ、その美しさは依然として霊的な清らかさと――妖(あや)しいまでの繊細さを失わない――その輪郭あるが故にようやく眼は、この山を形作っているのは白い霜の蒸気――何か淡い雲のようなものではないと納得がゆくのである。われわれは、その息を呑(の)むばかりの美しさに恍惚(こうこつ)となって見とれている。一方、日が昇ってすっかり穏やかになった海面は、徐(おもむ)ろに薄青色へと変わり始める。
(『ラフカディオ・ハーン著作集 第一巻』「日本への冬の旅」仙北谷晃一訳、恒文社)
十九世紀の終わりは、美術では印象派の時代である。ハーンも、刻々と角度を変える朝の太陽光線が富士の雪を様々な色合いに彩る、印象派風の微妙な色調の移り変わりを主に描き出しているが、富士山の美を、その積雪に白い山肌を射す陽光の当たり具合での色調の変化の壮麗さに見ているのは、六百年前の虎関師練の漢詩と同様である。ともあれ最初に眼にする日本の風景が、朝の日射しに次々とその色合いを変えていく雪に覆われた富士山であったのは、ハーンの幸運であったに違いない。十九世紀後半のイギリス上流階級、知識人の山岳愛好をハーンも受け継いでいるようで、ハーンはカナダの風景でもロッキー山脈ばかりかバンクーバーから望まれる沿岸山脈の「美しい紫がかった山々が、頂上に雪を散らしている」姿を嘆賞している。
そうしてこれから入港しようとする横浜も彼には夢のように美しい町に見えるが、その後方には、「そのかなたの青い火山脈の上に輝き続ける白峯」富士山が、その「不思議に夢幻的な美しさ」を見せているのである。
ここでは富士山は自然界の美の権化であるが、日本に住み、日本人の精神の深いところに分け入っていくハーンは富士山に寄せる明治日本人の心性を後に描き出すことになる。それが短編集『心』(一八九六)に収められた「ある保守主義者」である。
この作品の主人公は、武士の家に生まれた明治日本の青年である。ある地方の大名の支配する町の武士の家の厳格な教育を受けていた彼は、黒船の来航による大変革に遭遇する。幕府の西洋学問を学ぶようにという命令によって、彼の住む地方都市にも西洋人の教師がやってきて、主人公も西洋人の教師から学ぶという体験をする。明治維新の大変革ののち、すでに使えるようになった英語をさらにのばすために、横浜に移って、そこでキリスト教の宣教師の知遇を得て、彼の家に出入りし、西洋の言葉と学問を詳しく学ぶことになり、さらにはキリスト教についても興味を持って学んで、これが彼の知っていた東洋の宗教に匹敵するような偉大な宗教であることを知る。キリスト教を日本に取り入れることが、彼にとっての義務であると考えて、キリスト教に改宗する。
ところが彼の西洋の学問に対する探求はさらに進んで、西洋現代の哲学にも及んだ。西洋の新しい思想に触れた彼は、キリスト教を捨ててしまうのである。そうして、西洋社会の道徳というものが、キリスト教によって高められているかどうかを自分の眼で確かめてみようと考えて、ヨーロッパ諸国を歴訪して西洋の発展の要因を確かめる旅に出ることになる。ハーンの語るところによると、西洋の自由主義思想を信奉するようになった彼は、政府から睨(にら)まれて国外退去のやむなきに至ったのだという。
自由民権運動の闘士でアメリカに渡って客死した馬場辰猪(ばばたつい)を思わせるような洋行である。
長い年月を西洋諸国で過ごした主人公は、西洋諸国の強大さをつぶさに観察する。しかし彼は西洋の社会のどこに行っても、真実の信仰を見いだすことができなかった。「あるものはただ、虚偽と、仮面と、快楽を追い求めてやまない利己主義の世界、宗教の支配は受けないかわりに、警察の支配を受けているという世界ばかり」だったのだ。当時世界の最先進国であるはずのイギリスの首都ロンドンも、宗教的に見れば堕落した都市に過ぎないのだった。その堕落したイギリスから東洋に宣教師を送り込むという傲慢(ごうまん)を平気でやってのける国なのである。ハーンの描くイギリスの堕落ぶりは次のようである。
この国の文明とは、正直者と狡猾(こうかつ)な人間、力のないものと力のあるもの、この二つのものの、果てしない、醜陋きわまる争闘を意味しているのだ。暴力と奸智(かんち)とが結託(けったく)して、弱者をこの世の地獄に突き落としているのが、この国だ。こんな状態は、日本には、夢にもありはしない。 (『心』平井呈一訳、岩波文庫)
ハーンは、日本にはこんなことはない、という言葉を、「仏教国の都市では」という言い方で述べている。『心』を描いた当時のハーンにとって、日本の宗教は神道と仏教、そして武士階級の場合は、それに儒教思想が結合した、倫理性の極めて高い混合物であって、それが生み出す道徳水準は、西洋諸国のそれよりもはるかに高いものであったのである。
ある保守主義者は、パリに滞在してその審美的な水準の高さに感嘆するが、裸体画が公然と陳列されていることには、彼のなじんできた倫理観から、どうしても受け入れることができなかった。保守主義者というハーンの主人公の命名は、こうした明治日本としてもいささか古い世代に属するサムライの青年の倫理観の古めかしさ、しかし、尊重すべきなつかしさをたたえた倫理観について言われているのである。
こうして西洋諸国に長いこと滞在してその道徳、倫理の状況をつぶさに知った主人公は、西洋の偉大さは、その知的な面に、つまり科学文明にあるのであって、その宗教、倫理にあるのではない、と認識する。その西洋の知性とは、冷たく凍った高山のようなものなのである。
要するに、西洋の真の偉大さは、ただただ、知的な点にある。それはちょうど、純粋知性の冷たくそそり立った、嶮(けわ)しい山岳のようなもので、その山頂の永久に解けない雪渓の下では、感情的理想などは凍え死んでしまうのである。そこへゆくと、日本の仁と義の文明は、幸福の理念においても、道徳的な惝怳(しょうこう)においても、大いなる信念においても、よろこび立つ勇気においても、朴直(ぼくちょく)で私心のない点においても、また、まじめで足ることを知っている点においても、たしかに西洋文明よりも、比較にならぬほど卓越している。
そうしてこの日本の明治の青年は、倫理的には西洋は尊敬に値するものではないにもかかわらず、西洋の圧倒的な科学技術、科学文明を取り入れねばならない、という矛盾を考え続けた結果、次のような結論に達する。つまり、西洋の科学技術はこれを日本に導入するが、倫理道徳の面においては、「国家の自衛に必要のないもの、もしくは国民の自己発展に裨益(ひえき)しないようなもの」を西洋から輸入することには徹底的に反対するということである。
かれは、外国の文明を見たおかげで、それを見なければよくわからない、自分の国の文明の価値と美点とが、はっきりわかったのであった。こうしてかれは、故国に帰参のかなう日のくるのを、一日千秋の思いで待ちこがれていたのである。
ハーンは、彼が日本に戻ってからどのような主張をし、どのような政治的行動をとったかを、結尾において語らない。そうして、彼が太平洋を横断して初めて見た日本の富士山の姿をそこにもう一度持ち出す。こんどは、日本の明治の武士の家に生まれた青年が西洋諸国を歴訪した長い旅の末に故国に帰り着いたときに初めて眼にする故国の景物として。「ある保守主義者」における、ハーンの富士山の描写は、「日本への冬の旅」のものとほぼ同一である。ここでは富士山は一切の近代的なものを排除した、なつかしくも尊い日本の伝統的な心性のすべてである。ハーンは、ほぼ同じ富士山の描写のあとに、次のようなフレーズを付け加えた。
すると、たちまちいっさいが朦朧(もうろう)としてきた。目には、空に秀ずる富岳も見えず、その下の方に、青から緑にうす霞(かす)んでゆく山々も、湾内に群がる船舶のかげも、そのほか、近代日本を形づくるいっさいの物という物が、なにもかも見えなくなってしまった。ただ、古い日本だけが、かれの眼底にありありと見えてきた。におやかな春のかおりをのせて、陸から吹いてくるそよ風が面を吹きなで、血潮(ちしお)にふれると、長く閉ざされていたふるい思い出のへやから、ふっと、かれが昔忘れ捨てようとしたいろいろの物のすがたが、ひょいひょいと飛び出してきた。
そうして、富士山を見るときに船員が、視線を高くするように、と言った言葉を、日本の古い精神に対して、古い伝統に対して言うように、口に出して言うのである。「ああ、あなたがたは、目のつけどころが低い。もっと高いところを」
それは物理的に他の山々をはるかに抜いて高い富士山に対して船員は言ったのであるが、ハーンがここで比喩的に言いたいのは、日本の古い伝統的な、宗教的精神の中には、西洋人がその自らの文明を誇る高慢さによって、また近代化に夢中な日本人自身も、「目線が低い」ために見逃してしまっている、崇高で尊敬すべき高度なものがある、ということなのだ。
西洋にはアルプスという白く美しい嶺があるが、日本にはそれと同じぐらい高く、美しい富士山がある。西洋の科学文明は、その冷気によってあらゆるものを死滅させる死んだ高い嶺のようなものである。ここでは、日本の伝統的な心性のやさしさ、優美さが、アルプスの山々と同じく、白く雪に覆われた高山であっても、朝日があたれば花のつぼみのように薄桃色に色づく富士山によって象徴されているのである。
(中央公論新社刊「富士山ー聖と美の山」中公新書より)
