利尻富士(りしりふじ)は、北海道の最北端に近い天塩(てしお)平野の西方、日本海に浮かぶ、ほぼ円形をした利尻島を構成する火山。島全体が“富士”になっているということもできます。
利尻山は、かなり侵食の進んだ火山体であるため、ごつごつとした男性的な山という印象があります。歴史時代の噴火記録はないものの、活火山の見直しが最近進められた結果、2003年、火山噴火予知連絡会により、新しく活火山と認定されました。
北麓にある湧水「甘露泉水」は、環境省の名水百選に選定されています。
利尻という名称が、「リイシリ」=「高山のある島」というアイヌ語の意味があります。江戸時代から道北地方では、よく見える利尻山を対象とした信仰、伝説が残されています。島内では、江戸時代以来、航海や漁業の安全と豊漁を願って、各集落に神社(祭神は大山祇神が多い)が置かれています。とくに、島の北部、本泊(もとどまり)地区には、江戸時代の場所、運上屋(海産物の交易場)がおかれ、近隣の神社の鳥居などに「利尻大権現」と刻まれたものもあります。
宗教登山としては、明治23年に紀州から訪れた行者が山頂に祠を建て、そこに不動明王像を安置したことが始まりです。現在は、山頂になく麓のお寺に安置されています。また、経緯は不明ですが、登山道沿いに「薬師如来」や「弘法大師」と刻まれた石碑が置かれています。ある程度の宗教的な登山が行われていたものと考えられます。
利尻山はいつごろから「富士」がつく名前で呼ばれるようになったかはっきりはわかりませんが、明治2年に蝦夷地が北海道と改称、利尻は北見国利尻郡という区画がされました。そのころは、北見富士とも呼ばれていました。その由来は、おそらく富士山のような円錐形の山容(洋名はランタン=洋燈)が「富士」と読ませたのだと思われます。利尻富士の呼称ですが、大正12年に小樽新聞社が創立30年を記念して読者投票により行った北海道三景の募集の際、利尻富士が1位に選定されました。おそらくこれが最初に活字になったものではないかと思います。
協力:
利尻富士町