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「富士山」逸話あれこれ

43. 『竹取物語』 帝のとどかぬ想い

 

 『源氏物語』の「絵合」の巻では、絵を好む今上(冷泉帝=桐壺帝と藤壺帝の子とされているが、実は源氏)の寵を争う前斎宮(六条御息所の娘で、源氏が後見している)側と弘徽殿女御(かっての頭中将である権中納言の娘)側とが、左右に分かれて物語絵巻の優劣を競いあうことが語られるが、そこで最初に合わされたのは『竹取物語』と、『宇津保物語』の「俊蔭」の巻である。そこでは『竹取物語』は「物語の出(い)で来はじめの祖」と呼ばれ、ここに出品された絵巻は「絵は巨勢(こせ)の相覧(あふみ)、手(絵詞の書)は、紀貫之かけり」とされている。巨勢相覧は醍醐天皇の時代の宮廷絵師である。紀貫之はもとより『古今集』撰者の貫之である。また『伊勢物語』に続く歌物語の『大和物語』には『竹取物語』の内容と重なる歌があるが、それが詠まれた時期は醍醐天皇の治世の初めと考えられる、これらによれば、『竹取物語』は『古今集』が撰ばれた頃にはすでに出来ており、人々に読まれていたのではないかと思われる。現在では九世紀の末頃には成立していたかと推測されている。作者は誰だかわからない。僧正遍昭、源融、源順(したごう)、その他いろいろな人の名が挙げられるが、いずれも根拠はない。
 『竹取物語』は日本の子供が誰しも幼い頃に絵本などで読むかぐや姫の物語である。竹の中から生まれた小さなかぐや姫は竹取の翁とその妻の嫗に育てられて、みるみる美しく成長し、多くの貴公子たちの求婚を、数々の難題をだすことではねのけ、宮廷に迎えようとした帝の思いをも受け入れず、八月十五日夜、満月の夜に大勢の天人たちに迎えられて、月の世界に帰ってゆく。その直前、かぐや姫は泣く泣く翁に初めて自身の素性を語った。

   おのが身はこの国の人にもあらず、月の都の人なり。それを昔の契りありけるによりなん、この世界にはまうで来たりける。
 帝は二千人の兵士を遣わして姫の昇天を沮止しようとしたが、叶わなかった。

   ふと天(あま)の羽衣うち着せたてまつりければ、翁をいとほしく、かなしと思(おぼ)しつることも失せぬ。この衣着つる人は物思ひなくなりにければ、車に乗りて、百人ばかり天人具して昇りぬ。そののち、翁、女(嫗のこと)、血の涙を流してまどへど、かひなし。

 難題を課せられていずれも失敗する求婚者たちの滑稽な姿に笑わされたあとの、このかりそめの親と娘の永遠の別れは悲しい。
 かぐや姫は天の羽衣を着る直前、帝に宛てて文をしたため、不死の薬を形見として贈った。帝はその文を読み、「かぐや姫に逢えないまま、悲しみの涙に浮かんでいるわたしには、不死の薬も何もならない」という歌を詠んで、側近から聞いた、都からも近く、天にも近いという、駿河の国にある山の頂に勅使を遣わして、文と薬とを焼かせた。

   勅使にはつきのいはかさといふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂にもてつくべきよし仰せ給ふ。嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。御文、不死の薬の壺並べて、火をつけて燃やすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山をふじの山とは名付けける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言ひ伝えたる。

 「富士」とは「士(つはもの)」に富む」の意、富士山の噴煙はかぐや姫の形見である文と不死の薬が燃えているのだと説明して、『竹取物語』は語りおえているのである。
 人間界の頂点に立つ帝は天人であるかぐや姫を忘れられず、形見の品を焼かせる。立ち昇る噴煙は、帝のかぐや姫に対する片思いの象徴である。ここでも富士の煙は恋、それも成就せぬ恋の象徴とされている。最も天に近いという理由で、その片思いの発信地点として選ばれたのが富士山であった。しかし、帝の思いは永遠にかぐや姫に届くことはない。この物語では富士山もついに地上の山でしかなかったのである。

(株式会社文藝春秋刊、文春新書「富士山の文学」より)

 

 

 

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