母なる大地に緑を。
100万人の母が植える100万本の木

取材:NPO PTPL理事 すとうあさえ

 2008年3月、新聞で易解放さんの記事を読んだ。息子さんの遺志をついで、中国の砂漠に植樹をしているという内容だった。易さんにお会いしたい。そう思い、取材を申し込んだ。易さんは中国での活動が多く、日本に戻るのは年に3ヶ月ほどのこと。会える日を楽しみに待っていたところ、2009年1月17日、多忙な日程をさいてNPO PTPLの事務所を尋ねてくださった。笑顔のやさしいおおらかな易解放さん。しっかりと大地に根をはった一本の大木のような強さを感じた。


■夫と息子は上海。易さんは、単身日本へ。
 易さんは上海市電視大学虹口分校で教鞭をとっていたとき、「古事記」に出会い、日本に関心をもつようになった。そして1987年、夫と息子を中国に残し、一人で来日。易さん38歳。日本にきた当初は言葉がわからないので大変苦労したそうだ。易さんは「知っている日本語といったら、往きの飛行機の中で覚えた『すみません』と『よかったわ』の二つだけでしたから」と愉快そうに笑う。アルバイトをしながら、日本語学校に通い、次第に日本語も上達。2年後、日本の暮らしにもなれて1989 年お茶の水女子大学文教育学部の研究生となり、夫と息子さんも来日。
 日本で、家族三人の暮らしがはじまった。

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熱心に話をしてくださった易さん

*インタビュー映像をご覧になれます

■がんばりやの息子 楊睿哲(ようえいてつ)さん。
 易さんの一人息子、楊睿哲さんは12歳で日本に来て、半年間を地域の小学校(中野区)の6年生のクラスですごした。易さんは、「すぐに友だちができて、クラスの女の子にとても人気がありました。授業参観にいくと、女の子たちが『よう君のお母さん!』といって私のまわりに集まってくるほどでした」とちょっと自慢そうに話した。睿哲さんは、半年間日本の小学校に行ったものの、中学での1年間は勉強がとても大変だったそうだ。「息子は勉強することが好きでしたし、がんばりました。希望の高校にも入りました。その高校には中国人は息子一人だけでしたが、1年の中間試験ではクラスで1番をとり、3年間級長をつとめました。2年生のときには簿記1級に合格しましたし、ほかの生徒さんたちに簿記を教えてあげたりもしていました」。睿哲さんはきっと、ものすごくがんばったのだと思う。自分のために、そしてお母さんのために。
 易さんは1992年からJTB情報システムで翻訳、通訳、海外業務の仕事につき、生活も安定。睿哲さんも1999年推薦で中央大学商学部に入学。その春、易さんは息子とともに、中国を訪ねた。10年ぶりにみる中国。睿哲さんは、中国の近代化にとても驚いていたという。
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荒涼とした大地
植樹がはじまる

■中国の砂漠に木を植える−息子の夢。
 突然、帰ってくるはずの人が帰ってこなくなる。それがどんなに悲しいことか、体験した人でないとわからないと思う。中央大学に入学した睿哲さんは、アルバイトをして学費以外にかかる費用はすべて自分で賄った。そして初めてのアルバイト代でお母さんに、テレビをプレゼントしてくれたそうだ。そんな母思いの息子が、交通事故で亡くなってしまうなんて、だれが想像できただろう。
「頭の中が真っ白で、そのときの記憶はあまりないんです。1年ぐらいたって遺品を整理しはじめて思い出したんです。息子が亡くなる2週間前のゴールデンウィークに、将来の話になって、『中国に帰って砂漠に木を植えるのはどうだろう』って言ったことを。『資金はどうするの?』とたずねると、息子はだまってしまいました」。ちょうどそのときCCTVのニュースが、中国の開発による砂漠化と黄砂の被害について報じていたという。

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外国人ボランティアの方達
砂漠での植樹の様子

■NPO法人「グリーンライフ」を立ち上げる
 易さんは、睿哲さんの死亡保険の一部を中国の希望工程(学校建設活動)に寄付し、一部を活動資金として動き始めた。片手間ではできないとJTBをやめ、2003 年、仲間や賛同者とともに、NPO法人「グリーンライフ」を立ち上げた。息子の中央大学の友人たちにも呼びかけた。日本での易さん親子を支えてくれた友人たちも加わってくれた。
 一方、易さんが希望工程に寄付をした小学校が建設され、そのお祝いの会で政府関係者に「息子の遺志をついで植樹をしたいがどうすればできますか」と尋ねた。そして「青少年発展基金会」に相談することをすすめられ、内モンゴル自治区の中で東京に一番近い「通遼市庫倫旗(クリンキ)ホルチン砂漠」に植樹できるようになった。
 易さんに共感し、応援の輪がひろがり、集まった寄付金で2004年4月にポプラ1万本を植え、昨年7回目の植樹では112000本を植えた。総計21万本もの木がNPO グリーンライフの手で植えられたことになる。易さんの目標は100万本!今年は易さんの活動が中国で報じられたこともあり、協力者が増え、30万本の植樹が計画されている。100万本も夢ではない。
 グリーンライフの植樹は徹底している。苗木は易さんが自分の目で確かめてよい状態のを選び、植える場所は砂漠の中でも、地下水が流れていて活着率がよい場所を選ぶ。せっかく木を植えても枯れてしまっては意味がないからだ。木の管理は地元の協力者がしてくれるが、易さんも頻繁に木々の育ちを確認してまわる。
 易さんを真ん中に植樹活動の日中ネットワークがダイナミックに機能している。そして易さんの真ん中には、いつも睿哲さんがいる。

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植樹で緑が茂る場所に
日本人のボランティアと
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砂漠だった場所に作物が育つ
鳥が戻ってきた


■100万人の母に、100万株の緑あり。
 「今まで植えてきた木々が元気に育ち始めたら、木の下に草がはえてきて、鳥がもどってきたんです」と易さんはうれしそうに話す。生態環境がよい方向に向き始めている証拠だ。砂漠化をとめ、木を植えていくことは、次世代、そのまた次世代の子どもたちの命を守ることにつながる。子の命は、親にとってなにものにも変えがたい大切なもの。この地球上の母親一人ひとりが一本木を植えたら、どんな景色が出来上がるのだろう。
 易さんは、言う。「日本と中国の100万人のお母さんがみんなで木を植えれば、100万本なんて簡単なこと。100万人の母に、100万株の緑あり」と。
 「1年に3ヶ月は日本。3ヶ月は内モンゴルで植樹。3ヶ月は上海の自宅。3ヶ月は各地をとびまわるという生活です。人と会ったり、手紙を書いたり、企画を考えたり。人生すべてが活動です」。易さんは2008年に第3回「中国百名優秀母親」の称号を取得。さらに中華宝鋼環境賞「2008年度中国緑色人物」に選ばれ、植樹活動、環境教育の啓蒙活動など多忙な毎日を送っている。
 最後に、易さんから子育て中のお母さんたちへメッセージを。
“小さなころから、自然を大切にする気持ちをそだてていってほしいです。そして子どもたちに、将来にむけての夢…心差しを育ててほしいと思います。”
 易さんは睿哲さんの中にすばらしい心差しを育てた。その心差しが、今、多くの人に伝わり、砂漠の緑となり、地球の緑となりつつある。

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百名の母達を紹介しててくれた易さん
易さんは上から二段目の中央、ピンクのスーツ姿で

 

◎NPO グリーンライフ(中文名・緑色生命)の趣旨:
「荒漠」という自然現象は、人類の健康に悪い影響を与え、人類の生態環境を破壊するばかりか、広い範囲で農田を荒廃し、大きな経済損失をもたらしております。荒漠による砂塵は大空圏に乗り、黄砂という現象で我が国にも多大な影響を及ぼしています。アジア圏の一員として共に抱いている環境問題についてお互い協力し、支えながら共に発展していくとう目的で発足した活動組織が 「グリーンライフ」です。

◎活動、植樹の予定、入会、寄付など詳細は、ホームページwww.npo-greenlife.comをご覧ください。

にこやかに取材を受けてくださった易さん
取材中の様子(取材:すとうあさえ)

取材日:2009年1月20日


注:息子の楊睿哲君はお父さんの楊安泰さんとお母さんの易解放さんの間に生まれ、お父さんの姓を継ぎました。中国では、父母のどちらの姓をついでも良いようです。
田中 靖文 (NPO グリーンライフ 事務局長)