イースタービレッジ。そこは「復活の村」。
傷ついた子どもたちに、自立と夢と家族を。

カトリック修道士・中島儀一さん(74)

取材:PTPL新聞副編集長 すとう あさえ


  6月16日(金)、「イースタービレッジ」(フィリピン・ミンダナオ)で孤児たちと暮らす中島儀一さんがPTPL事務所を訪れた。施設では健康管理を担当。子どもたちの優しい相談役でもある中島さんにお話を伺った。

カトリック修道士 中島儀一さん
(2006年6月16日 PTPL事務所にて

 

*インタビュー映像をご覧になれます

 

■私たちは一つの家族。
 
ここは、あなたの家です。

 「子どもたちから元気をもらっています。これまでは私が助けているという気持ちが強かったのですが、今は私が助けてもらっています。今が一番幸せです」と静かに語る中島儀一さん。74才。カトリック修道士である。

  中島さんは、現在、フィリピン、中央ミンダナオの北コトバト州キダパワンにある「イースタービレッジ」で、孤児や虐待などの理由で誰からも世話を受けられない子どもたち、22名(5才〜15才)と暮らしている。フィリピンは貧困の差が大きく、町にはストリートチルドレンが多い。親がいても、子どもは労働力。学校に行かずに畑で働いたり、物乞いをさせられているケースが多いという。祐川郁生神父(43)と中島さんはこのような状況にある子どもたちを保護し、自立させるために、2002年8月、カトリック・キダパワン教区の認可のもとに民家を借りてイースタービレッジをオープンした。
 

 
イースタービレッジ
(復活の村)
 
イースタービレッジでクリスマスを祝う
中島さん(中央後ろ)と子どもたち


  「ここにはお父さんがいて、お母さんがいて、お兄さんやお姉さんがいます。そして、私はおじいさん。子どもたちは私をロロ(おじいさん)とよんで、大切にしてくれます。危ない場所があると、さっとやってきて手を引いてくれます。私たちは一つの家族なのです。」中島さんは子どもたちに言います。「ここは、あなたの家なのです」と。


■マザーテレサとの出会い。
  山谷でのホームレス終末期医療施設の開設


 中島さんは早くに両親を亡くした。メディカルケースワーカーとして50年間、福祉医療の仕事に携わった。48才のときに山谷の修道会で、来日中のマザーテレサと出会い、テレサのもとで修行をしたいとインドに渡った。「そこには、世界中からたくさんの人が集まっていました。500人(男子の会)ほどいる中で、日本人は私一人でした」

 2年間の修行を終えた中島さんは、「今、目の前で困っている人を助けること。それこそが本当の祈りである」と考え、帰国。男子の修道会がある山谷でホームレスのための終末期医療施設「友愛ホーム」を開いた。亡くなった人の遺骨は、中島さんに共感している調布市内の延浄寺が供養している。「今は同志が友愛ホームの仕事を引き継いでがんばっています。私は蔭ながら見守っていますが、フィリピンから戻ると、必ずお墓参りにいきます」

 中島さんは山谷で活動する一方、休暇でフィリピンに行き、下半身障害の人の「アワレディハンディキャップトレーニングセンター」などでケアーにあたっていた。そこで同郷(北海道)の友人、祐川神父と出会い、劣悪な状況にある子どもたちを救いたいという若き神父の情熱に心が揺さぶられた。そして山谷での活動に一区切りをつけ、イースタービレッジに力を注ぐことに決めた。71才のことだ。「私には親も兄弟もいません。子どもたちが私の世話をしてくれるというのです。ここで、人生を終わりたいと思っています」


■毎日全員で楽しく食事をする。
  子どもたちに夢と自信をもたせたい。


 22名の子どもたちは男女別、6名ほどの異年齢グループにわかれ、同じ部屋で暮らしている。そこに6名の大学生(奨学生)が交代で入り、リーダーとしての役割を果たす。7名の職員が交代で当直する。全体をまとめるのはソーシャルワーカー。食事担当が1名。みな、地元に住んでいる人たちだ。

 起床は朝5時。部屋や庭掃除、洗濯、食事の手伝いなど一人一人が担っている役割をこなす。7時から16時30分まで学校。20時には就寝。

 毎木曜日は菜食のみの食事。世の中には食事も満足にできない人たちがいる。その苦しみをわかちあうためという意味がある。土日はテレビを見ることができる。どの番組を見るかは話し合いできめる。子どもたちのミーティングも毎土曜日に行っている。

 毎回、食事は全員でおしゃべりしながら楽しく食べる。「食事の様子をみていると、この子は元気がないな、食が細いなというように、子どもたちの心と体の状態を見ることができるのです」と中島さんは話す。今、日本では塾でコンビニ弁当を食べている子もいるという。「食事を共にする」というシンプルなことが、ここでは大切にされている。


  誕生日もみんなで祝う。しかし自分の誕生日がわからない子も多い。

 「親にきくと、産んだ時にはたしか、黄色い花がさいていたみたいだと言います。その花なら○月ごろだな、というように誕生日を突き止めることもあります」と中島さんは苦笑する。
施設ではクリスマス会やピクニックなども行っている。それは子どもたちにとっては大きな楽しみと喜びになっているという。

 「私たちは、彼らに最高の楽しみを味あわせてあげたい。子どもたちが自分たちの夢と自信をもてるようにしてあげたいのです。施設の子どもだからといって恥ずかしがることは少しもないのですから」

■ ティナ(13才)の笑顔

 イースタービレッジにくる子どもたちは、いろんな事情を抱えている。キダパワンは長年、政府軍とMILF(モロ・イスラム開放戦線)と軍事的衝突を繰り返している場所でもある。イスラム教徒に親を殺され、復讐に固執している子。栄養失調、結核など病気を持っている子。路上で暮らしが長いと、施設で食事やベッドを与えられても、集団生活のルールが束縛になり、自由を求めて脱走する子もいるという。「教育が変わらなければいけません」と言い切る中島さん。しかし、変わるのを待っている余裕はない。目の前の子どもたちはどんどん成長している。中島さんたちは、一人ひとりの声に丁寧に耳をかたむけ、心と物質、両面のケアーに励んでいる。

手術が成功したティナ

 ティナという少女がいる。

―父親の誤射が原因で母親が亡くなった。その現場を見てしまったティナ。かなり難しい子だった。イースタービレッジに来たものの、頑固に叔父さんの家に帰りたいというので連れて行った。そこは、電気もお風呂もおやつもなく、収入もない。過酷な状況。ティナは耐え切れず3日目に帰ってきた。そのことがあってから、彼女は二度と帰りたいとは言わなくなった。そして、今、将来大学にいき、医者になりたいという夢をもってがんばっている。さらにうれしいことに、2003年12月、ティナは手術によって斜視を治すことに成功した。すばらしいクリスマスプレゼントになった。―

  子どもたちの話をする中島さんは、まさにロロの顔になる。


■イースタービレッジを支えるたくさんの善意
 ストリートチルドレン、ジャピーノ…救いを求める子どもたち。

 イースタービレッジは主に札幌、埼玉を中心とした「支える会」の援助資金や全国の善意の皆様の寄付金で支えられている。「今まで多くの困難をたくさんの方の愛の力で乗り越えてきました。みなさまのおかげです」と中島さんは話す。

 みんなの大事な足であるボロボロの4WD車を買い替えなければならないという差し迫った問題の他に、思春期を迎える子どもたちのケアーや社会性をつけさせるためのトレーニング、18才で施設を出た後のサポートなど取り組まなければならない問題は山積している。施設では将来の自立支援として、希望する子にはコンピューターの修理などを学ぶことが出来るように「インドネラテクニカルスクール」(工業専門学校)と連携したり、生計をたてられるようにゴムの木が生えている山(2ha)を購入したりと準備を進めている。

 しかし、まだ救いの手を必要としている子どもたちは多い。「フィリピンには日本人の父親とフィリピン人の母親との間に生まれたジャピーノとよばれる子どもたちが、おそらく30,000人以上はいます。その子たちを支える活動をしているジョエル・インドネラさんという方がいます。私もそこで子どもたちに日本語を教えています」。 

  中島さんたちは子どもたちが夢にむかって歩き出せるように伴走している。

 「人はみな死というレールの上にいます。なにをしてきたかではなく、人としてなにをなすべきか、ということを考えましょう。お金や物ではなく、心にしあわせをもちましょう」

 人と人の出会いがあって、だれかがだれかの手を通して子どもたちを救っている。そんなあたたかい輪を中島さんはつむいでいる。

イースタービレッジ・ミンダナオのページもご覧下さい
http://www.csd.or.jp/easterv/easter.htm

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