貧困と平和のコミュニケーション
「ミンダナオ子ども図書館」 館長 松居 友
図書館兼宿舎の外観
奨学生たち(宿舎2階にて)
読み聞かせの様子
熱心に聞き入る子どもたち
ダバオのスラム

上記2点は支援者の方々に
子どもたちが 描いて
お送りしたクリスマスカード

  ミンダナオに行ったのは、精神的に落ち込んだときに、アジアを自由に放浪したいという、大学時代の夢を思い出し、神父に偶然その話をしたのがきっかけだ。フィリピンにはまったく興味がなかったが、孤児施設という言葉に引かれて行ってみようかと思った。
 
  当時落ち込んでいた私の心をミンダナオの子供たちが救ってくれたので、子供たちのために何かをしたい、と言う思いが強くなり、孤児施設ハウスオブジョイにトモライブラリーという家庭文庫を作ったが、これがミンダナオ子ども図書館の始まり。5年前の事である。施設の中に拠点が出来たので、若者たちと近所の貧しい村に読み聞かせに行ったが、初めて絵本を見る子供たちと読み手の若者たちの姿に感動し、この地で読み聞かせ活動をする手応えを感じた。

  現在は、キダパワンの地に現地法人ミンダナオ子ども図書館を作り、2年前に農地1.5ヘクタールを購入し図書館兼宿舎を作り、現在奨学金を出している学生35名ほど、スタッフ10名ほどと一緒に住み、そこを拠点としておもに僻地の子供たちに読み聞かせ活動を行っている。ここまで活動を広げた背景には、この地を終の棲家とし、ミンダナオ子ども図書館の活動を生涯最後の仕事にしようと決心したからだが、そのきっかけとなったのは、キダパワンから西へ行ったイスラム教徒地区で大量の戦闘難民を見たからだった。

  当時2002年は、バリカタンと呼ばれるアメリカ軍とフィリピン政府軍の軍事演習があり、その余波でキダパワンから西のピキット周辺で大規模な空爆と地上戦が展開され、イスラム教徒を中心に7万人規模と呼ばれる大量の難民が出たが、その悲惨さに強く胸を打たれた。特に笑顔を失い顔が引きつったような子どもの姿は痛ましかった。

  自分を救ってくれたミンダナオの子供たちが、戦闘でつらい目に遭っている様子を見せつけられたときに何か出来ないかと考えた。そこで思いついたのが、読み聞かせをすることによって傷ついた心を癒し、笑顔を取り戻させることだった。そのためには、危険地域と呼ばれるピキットに通える範囲でしかも比較的安全なキダパワンに子ども図書館を作り、そこを拠点に行動しようと思った。

  ミンダナオは、イスラム教徒に対する戦闘の問題、テロやゲリラ活動の温床となっている貧困の問題、経済グローバル化によって山に追われた先住民族の問題など、世界の諸問題が北海道ほどの大きさの島に牛詰めになっている。このことも人類の過去と現代と未来を考える上で興味深いと感じた、これもこの地で最後の仕事をしようと決心した理由だ。

  この地で最も大きな問題は平和と貧困の問題だろう。そこに、小さくとも一石を投じるような活動をしようとしたならば、次代を担う若者に期待するしかないと思った。とりわけその犠牲者とも言える、山岳民族を中心とする極貧層の家庭の子供とイスラム教徒の若者たちに、高等教育を与えるしかない、と考えた。富裕層の牙城に、スカラシップを出すことによって、最貧困層から若者を送り込むことが必要で、彼らが将来、かつての自分と同じような貧困層の子供に手をさしのべ、世の中を少しでも変えていこうとする事を期待して、ミンダナオ子ども図書館のスカラシップが始まった。私たちの奨学生は、日本人に支援してもらって学校に通わせてもらうだけの受け身的存在ではなく、彼ら自身が、読み聞かせ活動や医療活動をすることによって、山岳地域や難民が多く出たイスラム地域の子供たちを支援し救う仕事をしている。それゆえに彼らは誇りを持って生きている。週末には、若者たちが中心となり、マノボ族の村にはマノボ族の若者がマノボ語で、イスラム教徒地区ではイスラム教徒の若者が中心となってマギンダナオ語で、絵本の読み聞かせや踊りや現地の昔話の語りなどをしている。また、活動後に病気の子供がいないかどうか聞き、いる場合は治療のための活動を開始する。その病気の重さによって、遠い町の病院にまで運んだりするが、医師との複雑な交渉も若者たちの役割である。

  今後のテーマとしては、出版活動を開始することによって、オリジナル言語の昔話などの出版や絵本化、よりクリエイティブな作業を通して、かつて私が培った編集技術や執筆の可能性などを若者たちに伝達して行くことだろう。

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