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ヒットラーが率いるナチス・ドイツが、フランス攻撃を開始する前夜、パリのあちこちで、上流階級の人々はダンスパーティーに熱中していたという。
紳士、淑女たちは、周辺の状況から判断して、ナチスの侵略は充分あり得るという知識はあったはずだ。すでに、宣戦布告もしていた。しかし、政府も指導層も、事態に対応する準備を怠っていた。そして、伝統ある大国は、いとも簡単に占領されてしまったのである。なぜだろうか?
私は想像する。フランスの指導層が、不吉な現実を直視するのが嫌だったからではないか。情報や分析は、充分危険性を指摘していても、それは今晩ではないし、明日でもないだろうと考えたのではないたろうか。攻撃があるとしても、まだ時間の余裕があるし、そのうち状況が変わるかもしれないなどと、都合のよい思い込みに傾いたことだろう。そのうち、大フランスが後進ドイツに支配されるなんてあり得ない、となる。ヒットラーはひどい男だが、フランスを取ろうなんて考えるほど非常識じゃないだろう…。
大国にしろ小国にしろ、一国の指導層というものは、危機に関してきわめて鈍感であり、異常事態の可能性に否定的である。つまり、権力は欲しいが、責任は取りたくないというのが本質である。指導者たちは、いつでも「不都合な真実」を隠そうとする。
今日、私たちが置かれている状況は、ナチス襲来前夜のパリに酷似している。
いや、似ているけれども、悲劇性と被害の大きさでは比較しようもない。一国が占領されるという話ではなく、人類が絶滅するかも知れないからである。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第一作業部会は、二〇〇七年二月に、恐るべき未来予測データを発表した。二一世紀末までに世界の平均気温は、循環型社会を実現したとしても一・八度C、このまま経済成長路線を歩めば、四・〇度C上昇するという。
一九〇六年から二〇〇五年までの一〇〇年間で、平均気温は〇・七四度C上昇し、現在のような異常気象をひき起した。世界中が努力して(怪しいかぎりだが)、循環型社会を作っても、過去一〇〇年の二倍以上の気温上昇があるという。となれば、異常気象は激化し、農業、漁業は不可能になり、食料と水を求めて大量難民が発生、戦乱があちこちで勃発するだろう。マラリアは世界病となり、得体の知れない数々の伝染病が猛威をふるうに違いない。人類がこの段階で全滅しないまでも、とてつもないダメージを背負うだろう。
まして経済成長路線の四度C上昇などは、論外の話である。もし、そちらに向かうのであれば、人間どころか、現存の生物の大多数は絶滅することになる。
IPCCは、世界各国から集った四〇〇人の専門家集団であり、気温問題に関して世界の最高水準の研究機関である。数字に沿って描いた未来想像図も、すでに現実に起きていることがらの延長線上にあり、多くの研究者が同様の警告を発している。政治家や経営者、経済学者たちが直視したがらなくとも、データは不吉な未来をはっきりと示唆している。ナチスはすでに、進軍を開始しているのだ。
世界は現在、一〇〇年に一度の金融恐慌で右往左往している。しかし、次の一〇〇年以内に起きる環境崩壊は、金で解決できる性質のものではない。
と言うよりも、すべてが金で解決できると信じた経済成長至上主義が、経済を崩壊させ、環境を悪化させたと言うべきだろう。
こざかしいだけで、結局は自分の首を締めてしまう人間とは、なんと愚かな生きものだろう。自分が無力であり、愚かな存在であるとわきまえていれば、ここまで暴走しなかったのではないか。
人間が神の次に偉いとか、他の生物より高等だとか、絶えず進化し続けるとか、この種のうぬぼれと妄想は古来からあった。
しかし、この傾向に拍車をかけたのは、一八世紀後半の産業革命だった。この時点を境に、世界は農業的社会から工業的社会へと転換する。工業的社会は、人間を苛酷な労働や生活環境から解放した。そして、機械に頼る生活を文明と呼んだ。工業社会の本質的性格は、効率と量の拡大であり、その原理を理論化するために経済学が発達した。その極致とも言うべき近代経済学は、膨張主義である。人間の望みや必要限度を超え、膨張すること自体が目的化した。
人口爆発も、産業革命を起点にうなぎ上りになった。農業的社会だったそれ以前の一万年間、世界の人口は五億で一定していた。産業革命以降の二三〇年間で、六五億に増加したのである。実に不自然な話だ。
大悲劇を回避するには、哲学と価値観の転換が必要だ。そのスローガンは、SLOW、SMALL、SIMPLEである。
(2009年1月寄稿)
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