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「植物の力…潜在意識を支えるもの」著者 (勉誠出版・2002年)
庭であれ他人の土地であれ、木を植えると誰もが気分が良くなります。小さな親切をした時と同じで、「自分も捨てたものじゃない」と思い、ハッピーになります。これは一体なぜなのでしょうか。そのヒントを一人のアフリカの女性から貰いました。
大分前になりますが、ある国際会議でケニアの女性団体の代表と話をしました。欧米の大学で学び、おそらくその国のトップエリートだったかと思います。その時何よりも心に残ったのは、彼女の声に宿る生命力でした。瞳の奥から流れ出てくる光には、密林の濃密な豊かさが宿っていました。
その時、その国の人々の精神力や文化を支えるのは、その地の自然の量と質なのではないかという思いが心をよぎりました。
何も森がどの位の広さであるかという事だけではなく、子供の頃からの自然体験や食べ物の質、衣食住の中で触れ合う自然素材など、生活の様々な要素のすべてがその民族や個人の力になるという考えです。
ほんのひと時の出会いが、その後の私の生活に大きい影響を与え始めました。私たちは自分の力は自分で獲得したり、本来備わっているものと思っていますが、本当にそうなのでしょうか。自分の力はわずかで、後は周囲からいただいていると考えた方が自然の理にかなっているような気がします。
毎日の食卓の食べ物や生活の場の心地よさ、顔を合わせる人の活力、通勤途上の樹木や昼休みの公園、オフィスの観葉植物等等。それらから得られるポイントの総得点が私達の心の力となっているのではと思います。
この力は幼児時代にまでさかのぼって、加算されます。子供時代に沢山の自然に触れ、その中に素直に浸った者はそれだけ潜在力が豊かということです。私は郊外の家で育ちましたが、たまたま隣地が公園でした。今は整備されましたが、以前は狐の出そうな程の草原で、打ち捨てられていた分、様々な昆虫から捨て猫まで、色々な生き物が徘徊していました。その中で存分に遊んだ事や夏の降る様な油蝉の大合唱は、今でも心の栄養となっています。今はわずかになった蝉が一声鳴くと、私の耳の中は即座に子供時代のにぎやかなコーラスで一杯になり、元気が出ます。
私たちが木を植え、自然保護の活動を行うのは、それがただ地球や人類の存続といった大きな目標のためだけではなく、私達がひたすら毎日心強く生きる力をいただくためにある気がします。それは実際の食べ物や環境だけではなく、イマジネーションの世界までも含めてです。
自分が何かをする時に、無意識に虫や鳥あるいはきれいな川や森を前提にできれば、その人の取る行動には、あるすがすがしさが加わるはずです。川や道に空き缶を捨てて平気というのは、川はいつも汚れていて魚も住まず、ごみが浮かんでいるものだと思っていなければできない事でしょう。
木々を植え、森を深くするのは、私達の心象風景や心映えも深くしていく事になるのだと思います。そういう視点に立って初めて、単に緑を増やすと言うだけではない植樹の本当の意味が生まれると思います。
この団体のPlant a Tree, Plant Loveの後半の言葉は、木を植えることが心の浄化や心の力を増やすと言う意味であれば、アフリカの女性に教えられた事が又違う言葉で教えられたという気がします。
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