「出あい」と聞くと、人との出会いを想像すると思います。
ぼくは、日本中の子どもたちに会いに行ったり、尊い人に逢いに行ったり、小さいころからの親友と会って、すぐ気が合ったり、おもいがけないところで、おもわぬ人に遇ったり、はたまた、神さまって本当にいるのかなぁとおもったりするような、不思議なことに遭ったりしています。
わかりやすくいうと、ぼくは常に、
子どもに出会い、
尊い人に出逢い、
気の合う仲間と出合い、
おもわぬことに出遇い、
説明のつかない、何かに出遭っています。
先日、ある中学校に絵本を読みに行きました。中学生のみんなの前に立ったぼくは、たくさんの眼に、出逢いました。中学生のみんなも、ハデなTシャツを着たぼくに出逢いました。
ぼくは、あいさつをしました。でも、返事がかえってきません。そこで、一冊の絵本をすぐ読ませてもらいました。読み終えたところで、もう一度、ぼくはあいさつしました。
「こんにちわぁー」と。
「こんにちあー」と最後の「わ」が「あ」と聞こえるような、最後の方の声の音量が小さくなるしりつぼみな声の束(たば)でしたが、やっと、あいさつに出合えました。
そのあと、少しその絵本を解説させてもらいました。
するとどうでしょう。ぼくのつたない解説を聞いてくれたみんなの姿勢が、シャンとなって、なんという熱い視線か。その会場の雰囲気は、クラシック音楽の無音の間に出遇ったようでした。
終了をつげる鐘が鳴り、ぼくが、
「これでぼくのはなしは、おわります。みんなも、人生、がんばってください」といいました。
そのとたん、すごい拍手に出遭いました。感謝。
最初、前に立ったときとは、おおちがい。
みんなに覇気が感じられ、とても充ちていました。
これが、出あいの種から、出あいの芽が出たときだと思います。
出あいの芽は、いたるところにあるということをわかってください。
人と人との出逢いはもちろん、物と物、出来事と出来事など、さまざまな出あい、種があります。
そのいろんなであいの種から、いろんな出あいの芽が出るように、ぼくは今日も、出相いに
いってきま〜す。
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