--- 言葉の芽 Vol.2 --- 『 選択の芽』
 今、何がほしいという問いに対して、すぐにこたえられる子は、中学生以下で、十人中、三人。大学生以下になると、一人いるかいないかぐらいになる。
 数年で、社会人を迎える大学生の方が、自分が欲するものを言えないという事実。
 自分に何が必要なのか、何を欲しているのか、考えるのがめんどうくさそうで、自分を大切にしているとは、とても言えない。
 これは、小さいころから、自分はこれがしたいとか、あれがしたいと言ってこなかったか、はたまた言ったけど、親にそれはだめ、とか、こっちにしなさいとか言われて、自分の思いや、意見が通らなかったために、言いつかれてしまったか、どちらかだろう。
 そうなると、子どもの意思のいきつくところは、“何でもいい”という言葉になる。なぜなら、どうせぼくが決めてもかえられてしまう。なら、周りのおとなが、ぼくのためを思って決めてくれやすくする言葉を言ってあげてやる方がいいということになる。
 子どもたちは、ものを選ぶことがとても上手である。たくさんの色の中から、一つの色を選ぶ。選び方も、たくさんの色の中から、いくつもの色を選ぶ。自分の今の気分や雰囲気で、自分が心地よい方向にとても素直に選んでいく。
 絵本の選び方も、子どもが手をのばす様子には、ぼくも見習いたいことが多い。
 一冊をわきにはさんで、もう一冊を本棚からぬいて、気にいった場所にきて、気にいったスタイルで、気にいったときに、気にいったタイミングでページをひらいたり、めくったり、じっととめたりする。さすがである。
 すべて、おとなになってから、ものを選択するときに、役に立つ選び方を、何も教えていない子どもたちの方がやっている。
 人生では、いくつもの道の中から、自分にあったものを、そのときの局面で、決められた期間中に、選び、選んだら、さらに選択して、諸事にあたらなければならない。
 その大切な、選択の芽を社会に飛びたつまでに、だれがつみとってしまうのか。真剣に考えなければならない。
 選択の芽が、すくすくのびるように・・・・・・。
 
  ブックドクター・あきひろ