--- 言葉の芽 Vol.6 --- 『 気持ちの芽』
 気の持ちようで、人の身体(からだ)にはさまざまな変化が現れる。
 ほどよい緊張感を保ったまま目標に向かっているときは、寝不足ぎみでも身体(からだ)はなんともない。しかし、目標をクリアーし、気持ちがホッとして「やれやれ、無事終えることができた」と思い、気をぬいたりすると、たちまち病魔に冒される。
 回復に向かうために気をとりなおすことを“病は気から”という。
 気持ちには温度がある。そのため、温ったかかったり、冷たかったりする。
 我々日本人は、気持ちで生きてきたため、擬態語、擬音語も豊富である。
 ドキドキ、ハラハラ、イライラ、キューン、キュッ、ワクワク、ルンルン・・・・・・など。
 他に気持ちは、上がったり下がったりもする。現れたり消えたりもする。浮かんだり沈んだりもする。何をしても堅かったり、固かったり、硬かったりしてビクともしない。かと思いきや、一緒にして解(ほぐ)れたり、急に柔らかくなったり、軟らかくなったりする。
 さらに気持ちは、深かったり浅かったりで、相手の気分を損ねたり、得たりする。
 気持ちよく動ける場合、そうでない場合。
 人間の身体(からだ)は、すべて気持ち次第でどうとでもなる。
 気持ちの何たるかをちゃんと識(し)っている人たちは、必ず相手の気持ちを酌(く)むため、理解も早く、事情や趣(おもむ)きをはかって動きをとる。
 極みの域に達している仙人みたいな人たちは、相手の意向を酌んで行動をし終えておきながら、その相手には、まったく気づかれないという離れ業(わざ)をやってのける。
 人間の気持ちの驚くべきところは、人と人の関係以外にも、気持ちを封じ込められる能力である。
 即ち、人と物の関係においても、気持ちを込められる点である。無気のものに。
 つまり、それは贈り物である。
 高価な贈り物でなくても、気持ちは込めることができる。もっといえば、相手の気持ちを酌みあえる仲なら、そこにお金の働きはない。
 なぜなら、その関係(気持ち)が本物だからである。
 お金に気持ちを込める場合、誠意ある金銭感覚を身につけていないと、相手様を怒らせたり、増長させたり、結果、気持ちが淋しくなることが多い。
 だから、お金をいくらもっていても、金銭術を身につけていない人は、お金さえ積めば人がなびくと思っている。
 本物(モノホン)の人に、お金をいくら積もうが、人の気持ちは買えないということを知らなければ、愚者の極みなるため、その業は七度生まれかわってもわからないと伝えられる。
 本物(モノホン)の気持ちを動かすことができるのは、お金や高価な贈り物ではない。欲のない純粋な気持ち。
 例えるなら、たった一個のおにぎりで十分である。おにぎりがノドを通るときには、にぎり手の気持ちをかみしめ、和やかな気持ちになるにちがいない。
 相手にこちらの気持ちを酌んでもらえたとき、こちらも和やかな気持ちにさせてもらえるのである。
 そこで、今月は言葉のクリスマスプレゼント!!
 これが本当の和気藹藹という。(藹藹(あいあい)とは草木が盛んにしげる様になるのは、根でつながっていることをいう)
 よい年を!!
 
  ブックドクター・あきひろ