--- 言葉の芽 Vol.8 --- 『 勇気の芽』
 勇気を出せ!とよく言われる。そのセリフを告げる者にとっては、それを乗り超えたのだろう。だが、言われる者にとっては、言うは易し、行うは難しである。
 子どもたちが成長していく過程で、何度聞くのだろう。勇気を出さなければならない局面は、子どもたちばかりではなく、大人も数多く出くわすことになる。
 子どもたちにとっては、人生を生きぬく経験において浅いため、一つの勇気を宿すのに時間がかかる。
 水が恐い子にとっての水泳は、勇気が求められる。跳び箱が苦手な子には、跳び箱への衝突で痛い思いをしたくないため、思いきりのよさや、痛みへの恐怖と闘うための勇気が求められる。
 水泳の競技種目の中には、飛び込みというのがある。十メートルの高さにつきでた飛び込み台の先端に立つと、大人でも相当の勇気が求められる。他には、人前で話すことが苦手な人が、何の因果が千人の人の前で話さなければならないとき。大きな手術の前。誰も入ったことのないほら穴に入らなければならないときや、前人未到の土地へ足をふみこまなければならないとき。上司に自分の考えを述べなければならないとき。ケンカを売られ絶体絶命のピンチをむかえたときなど、数えあげればきりがない。
 では、どうすれば勇気が出せるのだろう。
 それは、それぞれの局面に応じた、覚悟を決めたとき、何かしらの力が働き授かるのである。覚悟さえ決まれば、おもいきりがよくなる。おもいきりがよいうちに行動をおこす。数秒後、結果がでる。良い結果もあれば、失敗もある。しかし、失敗の結果がでたときでさえ、心に宿るものがある。それは、
 "はじめて、自分にもできた"という体験が体にメモリーされることである。
 これが勇気の種となる。種は、くりかえしチャレンジするという水をやることで、勇気を育て、直に勇気の芽がでる。つまり、成功をイメージすることができる。ここまでくれば、成功を手にしたも同じである。
 子どもたちの中には、学校に行くのにも、勇気を求められる子がいる。中学校の恋では好きな子に告白するのに、勇気を出さなければならない子がいる。高校生の中には、自分の親に話をするのに、勇気を必要とする子がいる。大学生の就職では、自分の将来を決める面接に臨むのに、勇気をしぼりださなければならなかったりする。
 すべては、自分ならできると信じて、覚悟を決められるか、決められないかにかかってくる。このとき、注意すべきは、人が何をしていようと、自分にできることは何かということに集中していること。そして、成功するまでの行程を何度もイメージすること。決して、失敗したらどうしようと思わないこと。
 勇ましく、気持ちたからかにいこうとする志こそ、プレッシャーをはねのける勇気になるのである。
 
  ブックドクター・あきひろ