--- 言葉の芽 Vol.12 --- 『集中の芽』
人間の五感は、意識をそこに集中すれば、能力をアップすることができる。つまり、目に意識を集中すれば、見る能力が、耳なら聞く能力が、鼻は嗅ぐ能力、口なら味わう能力、そして、皮膚、指先は触れる能力を高められる。その体感はすべて本人しか分からない。

日本人は情けの民である。相手の気持ちを察して己をころす。この気質が多くの職種の職人を育てた。例えば、プロ野球選手のバットを作る職人は、各選手と話し合い、意気に感じ“粋”な技を、粋なはからいで、“意気”な術(わざ)をバットに織りこみ、仕上げていく。

その技(わざ)と術(わざ)は、ミリ単位の握りの感解に応えるのである。選手は、指先の納得を手に入れることで、ピッチャーが放つ、ボールに全神経を集中する。はまれば、球はオーバーフェンスとなる。

何に集中するかで結果はすべて違いをみせる。成功したり、失敗したり。

ここで集中をもう少しだけ掘りさげたい。“集”という漢字のつくりは、一本の木の上に、たくさんの隹(とり)【しっぽの短い太った鳥】が枝中にとまっている様子を表わし、転じて“集まる”と読む。そこから集中と聞くと、直ぐ“集中力”と連想するが、集中力とは、ひとところに何かを集めてくる“力”であり、集めつづけられる“力”のことをいう。解りやすく例を挙げよう。

一、みんなの視線が絵本に集中した。
二、目をとじて、精神を集中した。
三、突然、大粒の集中豪雨でビショ濡れになった。
四、ここ一番、あいつの集中力は凄いと思う。
五、俺は、短期集中型の人間なのさ。

以上、五点で集中力が納まる文は四番しかないほど実践は少ないのだ。集中力をつけるためには、普段から、集中する力を養っておかなければならない。つまり、集中力を使うときは五番のように短く、集中力を身につけるためには長い時間かかってようやくものになる。

生態学で人間が人の話をちゃんと集中して聞いていられる時間は90分ぐらいと出ている。

今、若いお母さんが授業参観に来てくれるのはいいが、その喋り声のあまりのうるささに授業参観の授業がなりたたないことが問題となるほど、今のお母さんは、5分と黙っていられないのである。とてもとても90分なんて集中できないだろう。自分たちのお喋りには何時間でも集中できているというのに……。

今の子どもたちに集中力がないのは、親を鏡とした写しなのかもしれない。

今から述べることは、子どもに集中力をつけてあげたいと思っているお母さんに参考にしていただきたい。

子どもが何かに熱中しているのを10回目撃したとする。その10回の内、10回とも子どもの気がすむまで、何も言わず見とどけられることができたなら、その子の将来において必要となる“集中”するための“力の種”が相当確かに植えられることであろう。

その種は、月日を重ね、遊ぶときは遊び、食べるときは食べ、学ぶときは学ぶ、メリハリのある姿の“芽”となって反ってくる。

その集中の芽は、やがて、成功者が必ずもっている、“集中力”を宿すことだろう。
 
  ブックドクター・あきひろ