--- 言葉の芽 Vol.13 --- 『発見の芽』
今の世の中は、発見の上に成りたっている。
引力、電気、遺跡、新しい星などなど、挙げたらきりがない。
人間の能力は、地球が産んだ、それぞれの物質が“発しているものをちゃんと見てきた”。 もっぱら、現代人はその能力を、過去の偉人たちの発見からあみだされた製品のおかげで使うことがないと、 発見されだした。
日本は、約60年前、原爆の投下とともに終戦してから、数々の発見で高度成長し、大国の仲間入りを果たした。 だが、高度成長が生んだ、「便利な物」は、それまで日本人が持っていた能力を、たくさん削いだにちがいない。
削がれた能力の中にはきっと、心の発見も入っていたことだろう。
今の小学校は、理科の年間授業が1970年の約半分に減っている。減っているということは、理科の実験で得る、 多くの発見をうばわれていることになる。
僕は、理科の授業が大好きだった。そのせいか今でも、NHKでやる小・中・高の理科は、観入ってしまうときがある。 ちなみに理科のテストは、大嫌いだったので、いつも30点以下だった。
なぜなら、先生が授業で、僕たちに発見させなかった方向の答えと、僕が発見した答えが確実に違うため、 テストでは赤ペンでペンをはねられたから。
これは理科に限ったことではない。国語・算数・理科・社会、中学からは英語がプラスされ、それぞれに先生のいう答えとは、 違うところばかり、僕の答えを発見した。一例をここで挙げよう。
国語編は、小学校5年生のときから、先生がいう「それ」は、中原中世の詩を思う、「心の状態」が答えなのだが、 僕は、「忘れるような悲しみ」と答えた。
算数編は、小学校3年生のときから。わり算のテストで、あまりまでちゃんと答えて○(マル)がもらえる問題が出た。 17割3。5とあまり2と書いて正解を、僕は、5.6666……とテスト用中に6を書いて叱られた。
社会編は、小学校4年生のときから。学校の地図記号を書きなさいという問題で答えは「文」。 僕は、自分の小学校の校章マークを正確に書いた。
理科編は、中学1年の2分野から。おしべ・めしべの受精についての項で、花粉がどのようにしてめしべにつくかと いう書き込み問題で答えは「風や虫のはたらき」。僕は、「おしべがめしべにキスしたり、 めしべがおしべにキスする」と書いた。
語編は、中学3年の受験前の模擬テストから。問題。be able to の部分を、文を読んでそれぞれのカッコにあてはめよ。 答えは can だったり could だった。僕は is able to とか were able to を、その小さいカッコの中にあてはまるよう 小さい字で書き込んだ。以上、どれも僕の大切な発見のほんの一例である。
そこから学んだものは、僕の人生を今もってささえてくれている。これからの親や先生は、テストの答えと子どもの 答えが違っていた場合、問題に対して子どもが真剣に答えようとしているんだという心の発見をすることが、 何より求められる様な気がする。






ブックドクター・あきひろ