--- 言葉の芽 Vol.17 「イタミの芽」
ニュースを見ていて、イタミを覚えることが多くなった。子どもが子どもを殺めてしまうニュースを見れば、 怛み(イタミ:震えるほどに悲しみ、心を痛めること)を覚える。

僕の地元の三重県は、宮川村と海山町を襲った台風で、被害にあわれた方々には何とも言えぬ胸の痛みを覚える。
新潟中越地震で被害にあわれた方々にも、心のやり場にこまる痛みが走り、運悪く崖くずれに巻き込まれ、5日目に救出された男の子が、レスキュー隊員に抱きつく幼気(イタイケ)な姿には、目に痛みを覚え、さらに後日、母とお姉ちゃんが還らぬ人となった報せには、やるせない悼み(イタミ)を覚えた。
そんな折り、イラクの人質事件が発生したかと思うと、最悪の結果が世界中に流れた。24才にして、人生を去るにはあまりにもひどい最期に、惨み(イタミ)を覚えた。


天災と人災では、痛み・傷み・怛み・恫み・疼み・惨み・悼みの七苦切痛(ヒチクセッツウ)を腹く(イダク)。
 人の痛みのわからぬ人を、嘆く痛みのことを、愚かな痛みと書いて、愚痛(グツウ)という。この世の中、愚痛者が増えないよう、心から願う。その一方では、まだまだ人の奥底に眠る、あったかいものにも希望を持ち続けたいとも思う。

先日、新潟に行き、川口町のとある小学校を訪問した。気象庁の余震発表で、今だ家に帰れず非難されてる方々が多数おられた。そんな人たちに、一日でも早く元の生活にもどってもらおうと、連日、全国からボランティアに駆け付ける多くの人たちにも出逢った。
このボランティアに駆けつけた人々はみな、人の心の痛みを我がことのように感じたに違いない。これには、本当にまだまだ人間は捨てたもんじゃないと、あったかいものをダイレクトに感じた。
ボランティアの人たちが、汗する姿はある意味、感動という矢を心に穿つ(ウガツ)ため、疼みをさす。避難されてる人同士もまた、笑顔で食事を手分けしながら作業されてる姿は、生きぬく強さのようなものが、心にチクリと痛みをはしらせる。


そういやぁ、ガキの頃、子ども会の会長さんの口ぐせが、
「人の心の痛みが解からんやつは、解かるまで、わけのわからんバチがあたるぞー。」
って、言うてたなぁ。
 僕は特に言われていたと思う。
そんな会長とのエピソードを1つ。

小学校5年生の夏休みだった。地区のソフトボール大会の前日、レギュラーの発表があった。ピッチャーから順に会長が名前を呼んだ。サードのとき、「あきひろ。」と言った。そのとき、僕とそれまでサードのレギュラー争いをしていた6年生のT君「ちぇっ。」と言った。そのT君と僕は普段から仲がよかったので、「会長、俺、別に明日出やんでもいいでぇ。」と言ったときだった。
 「あきッ、おおきに。その痛みあずかった。」
と言って肩口のTシャツの布をひっぱって目をおさえた。


会長は、僕みたいなやんちゃ坊主のために、泪してくれる人だった。
 心の痛みを訓えてくれた会長に、遅まきながら、感謝!







ブックドクター・あきひろ