--- 言葉の芽 vol.22 「歯車の芽」
歯車はもともとかみ合うように考案されたもの。横の力を縦に換えたり、縦の力を横に伝え、小さい力で大きな物を動かす力に換えてしまう。すべては、歯車がかみ合ってこそ何度でも作用することができる。


でも、何かしらの負荷がかかると歯車がはずれたり、巧くかみ合わなくなってしまうほど、デリケートなものでもある。そんなところから、例えに転じられ、
「話がかみ合わない」、「意見がかみ合わない」、「打線が上手くかみ合っていない」、「夫婦の足並みがかみ合っていない」などと使われるようになった。

では、歯車が上手くかみ合わなくなったときどうすればいいのだろう?
何かの手を下さらなければ、いつまでたっても、歯車の本来の機能が得られない。
だとすれば、手を下すのである。まず、原因を調べる。なぜ歯車がはずれたのか?かみ合わなくなったのか?必ず原因があるので見つかるまで探すのである。見つけたら、その箇所を直す。直す(なおす)は直す(ただす)とも読む通り、ただすのである。

話がかみ合わないのは、どちらかの聞き方が、すでに敵意をもって聞いていたり、話し手が、ある意図を持って話していることに聞き手が全くのってこないことに、話してのほうがいらいらして、はずしてしまうなど、始めからかみ合わない場合と、お互いが話し込んでいるとき、ふと、価値観の違いや、考え方の違い、思いのすれ違いが生じる場合などが多くの場合をしめる。
そんな時、どこを直すかというと、こちらが“折れる・譲る・任す”の道具を使って直すのである。歯車さえ回りだせば、本来の機能を取り戻し、円滑に事が進み始めだすであろう。

そこに、“折れる・譲る・任す”の道具を使った人は、目的を持って直さなければならない。決して、「私があの時、折れてやったから上手く行くようになった」と思い上がることのないように注意したい。なぜなら、今の社会は、みな何かの歯車の中に、どんな人も取り入れられているからである。家族の歯車、教室の歯車、会社の歯車、チームの歯車など、人はみな必ず、自分という歯車のおかげで、他人の歯車に作用し、また自分も、他人様の作用のおかげで、歯車が上手く回っているからである。

歯車が上手くかみ合うと、家族の中に輪が生れたり、弱小チームがシード校に勝ったりするのだ。つまり、いくらお金持ちや、一人一人の能力が優れていようと、どの歯車もちゃんとかみ合っていなければ、力が十分に伝わらず、何の実力も発揮できないのである。

今、どこも、必要のない歯車は取り除けばすべて上手くいきそうな風潮がある。実際、取り除いてしまった多くの企業や人選がある。

でもそれは、その歯車を取り除いたために、別の大きな歯車まで支障をきたすことに気づいていない。後にその大きな歯車を支える軸が折れることになれば、もっと信じられない事が起きて当然である。







ブックドクター・あきひろ