--- 言葉の芽 vol.23 「豊かさの芽」
この国は本当に豊かだと思う。

その中でも水の整備においては、世界広しといえど郡を抜いている。どういうことかというと、国内で、1キロ四方内で整備さえすれば、蛇口さえひねれば、約100%、自分の家で水が飲めるのである。しかも、世界水準上位の水質が、である。
これだけでも、豊かさを実感してもよさそうだが、現代人にはあまりにも当たり前すぎて、数年前から、豊かさに輪をかいて、コンビニでよりクオリティーの高い水を買うほどになった。

世界中を旅した体験者の人はわかると思うが、今でも世界の約70%の国は、水の整備が満足な状況ではない。
とくにアフリカ諸国の国々では、幼い子どもが何時間もかけて、その日必要な水を汲みに行くことが日常になっている。日本のように、コンビニがあちこちにできた姿など、想像すらできないだろう。

日本が戦争に負けて60年。たった60年で、着るもの、食べ物、住まい、医療、学校、働き口など、ありとあらゆるものが豊かになった。
だが、それに反比例しているのではないかと感じるほど、心の方は豊かそうではない。
人と人が信じ合うために出会うのではなく、まず、信じられる人間かどうかを疑い合い、何回かのやりとりの末、ようやく交流が始まる。それでも、どちらかが、たった一度ミスやエラーが起きただけで、その人間関係が簡単に崩れてしまう。そんなことが、あちこちで起きている。これでは、心の豊かな人が、そこかしこに育つわけがない。

心の豊かな人が少ないということは、明るくないということ。
なんとなくその人がいれば落ち着くということが少ないということ。
安心できる人が自分の周りに少ないということ。
子どもたちに豊かな感性を授けてあげる機会が少なくなるということ。
人に譲ってあげられる状況が少なくなるということ。
ちょっとしたことに感謝できなくなるということ。
想像力を貧しくしてしまうということ。
時間を活かせられなくなってしまうということ。
笑えるときに笑えなくなってしまう恐れがあるということ。
とても簡単なことが、難しく感じてしまうようになるということ。
勇気が必要なときに、勇気が湧いてこなくなるということ。
最後に、
自分を信じる力が弱くなりはじめるということ。

以上、十二の訓え(おしえ)を賢者が、説法の中に織り込んでいる。

そういえば、おじいちゃんがこんな話を聞かせてくれてたなぁ。

「ええか、あき。世の中に出たときに、一番気をつけなあかんのが、心が豊かなやつや」

「えぇっ!?なんでぇ?」

「それはのぅ、心が満ちてる人やからや。
このタイプは銭金(ぜにかね)では動きよらん。何で動くか言うたらのぅ、そいつが持ってる澄んだ瞳(め)や。
ええな、よー覚えとき (笑)」




ブックドクター・あきひろ