--- 言葉の芽 vol.24 「頃合いの芽」
「頃合いを見計らって」という、この「頃合い」の意味は、そのぐらいでとか、手頃なところとか、適当な時期や適当な時機を言う。
つまり、だいたいの程度だと思えばいい。

今、この「頃合い」がわからない人が増えたと思う。

わからなくなってしまった背景には、個々人が持つ頃合いの幅に、開きがありすぎるようになるほど、ものが豊かになり、ゆっくりしていたら他の人に先を越されてしまい、自分が損をした気になるような感覚を多くの人が宿すようになったことが一番に挙げられる。
これは、頃合いまでうかうか待ってなどいられなくて、人より少しでも、早くて良い物を得ようとする欲から来ているのだ。

例えば、米の収穫や野菜、リンゴなどの果物の収穫を見ればわかると思う。
農家の方々は皆、さすがその道のプロである。作物の実を、ここで収穫しなければいつ収穫するのか、と言わしめるほど絶妙な頃合いに収穫をする。採れた実は、色・ツヤ・形・大きさ・甘味など、グレードにあった最高のものばかり。

どの道のプロも、必ずといっていいほど、最高の頃合いを見極められる目を持っている。
それは、早すぎてもいけない。遅すぎてもいけない。熱すぎてもいけない。冷めすぎてもいけない。遠すぎても近すぎても。長すぎても短すぎても。多すぎても少なすぎても。濃すぎても薄すぎても。辛すぎても甘すぎても、などなど。
子育てでも、叱りすぎず叱らなさすぎず、言いすぎず言い足りなさすぎず、聞きすぎず聞かせすぎず、見すぎず見せなさすぎず、知りすぎず知らなさすぎず、動きすぎず止まりすぎず、話しすぎず黙りつづけすぎずなどなど。
頃合いをプロの方々のように見極められなくても、せめて、我々一般人でも、頃合いを見定めることぐらいは、身につけたいものだ。

人生において、この頃合いがわかる人かわからない人かで、生活のゆとりみたいなものに、随分、いろんな影響が出ると思う。
そろそろ息子(娘)も結婚の頃合いとか、そろそろあいつも自立して一人で歩みだす頃合いだろうとか、人の成長や我が子のさらなる心の成長を願えるのも、ゆとりある生活あってこそだと思う。

ここで解釈として注意していただきたいのは、頃合いまで待った方がいいと言っているのではない、と言うこと。頃合いを、あくまでも、見定めようと意識していただくだけで、自ずと、その時代や流行りに乗った本来の頃合いを呼びこむことになっていくと言いたいのである。

僕のおじいちゃんは、この頃合いを見極める職人だった。
家を建てるためには、当然、材木がいる。この材木は、もともと山で生きていた木を殺めたもの。それを、我々が雨露をしのがせてもらうために、遣わせていただく。家に納めるまでに当然、その木に寝ていただく。寝かせてある木を、一番よい頃合いで起きていただき納めるのだが、これを頃(・)合い納め(・・・・)といい、その家がこれから益々栄えるための大切な工程なのだ。

それほどに頃合いは、家にも人生にも大切な心の芽なのさ。





ブックドクター・あきひろ