--- 言葉の芽 vol.27 「 行動力の芽 」

今、多くのPTAの方々が、「子どもがおもてで遊ばなくなった」と思い込んでいる。よーく、どの地区の子どもたちを見ると、そんなことはない。ちゃーんと遊んでいる。

ただ、子どもたちが大人に見られるところで遊ばなくなったのは事実。言い換えると、大人の目につくように遊ばなくなっただけ。

どうしてそうなったかの1つの要素に、大人の目につくところで遊べば、何でもかんでも、あれしちゃダメ、これしちゃダメと言われることを、ちゃぁんと学んだためだろう。
大人の目につくところで遊びさえしなければ、子どもたち同士で、楽しく遊べることを本能的に察知しているのだ。だって、大人に一言言われたら、せっかく盛り上がっていた空気を裂かれてしまって、テンションがぐっと下がるからだ。その気持ちは、イタイほどわかる。わからない人たちがPTAなんかの役員になると、自分たち大人の目につくところで遊ばせようとする企画を次々に立て、今週は、プラネタリウム、来週は、夏祭りなど、“子どもが自らの意志”で行動(こうどう)するのではなく、大人たちがつくったお膳立てにのせて、“行動させようとする”ようになった。大人たちは、その安全で固めた場でのびのび遊ばせてあげることが、まるで、子どもたちの行動力がすくすくついていくかと言わんばかりに。
そうではない。小さい頃から、危険なところに入りたい、でも恐いと感じさせることが行動する力の種になり、自分で一度やってみようかなと思って本当にそれを行動に移して、成功するなり、失敗するなりしたとき、行動する力の種から芽が出るのだ。
この芽が育ったとき、行動力という。

今の子どもたちが、社会人になったとき、その頃の世の中には、安全で固められていない、とてつもなく広いフィールドに放り投げられ、身をさらすことになるだろう。
それがどんなに危険なことか、今の多くのPTAの方々は、察することさえうかがえない。各家々で、本当の行動力を身につけさせて上げられるよう工夫のいる子育ての時代だが、そこを面倒くさがっていると、我が子が将来、社会に飛びだしたとき、まるで、ケモノたちが渦巻く中に、ただ、よちよち行動しているだけの“大人”(!?)として、おどおどしながら、毎日を過ごさなければならないだろう。

おじいちゃんは、よく言っていたなぁ。
「あきぃ、行動力って言うのは、ただ動いていればええんとちゃう。
動くときに動き、動いたらあかんときに動かん。はたまた、一見動いたらあかんように見えて、実は動かなあかんだり、動かなあかんように見えて、実は、絶対何があっても動いたらあかんだり…、つまりは、その時その時の、決断力の速さを言うんや。
ええか、覚えときぃ。
“動けば動くほど快く、動かんければ動かんほど安らぐ”
これを肝に銘じとけば、決断力もつくし、決断を誤ることもない。
これで行動すること、これを行動力って言うんや。覚えとくんやでぇ。」
・・・と。また一つ、大事なことを思い出しました。

 







ブックドクター・あきひろ