--- 言葉の芽 vol.29 「 僥倖の芽 」

僥倖(ぎょうこう)とは、思いがけない幸運のことをいう。
日常会話の中で、さらりと使える御仁もめっきり減ってしまった。
ところが先日、あるおばあちゃんお手紙をいただき、その手紙の中に、この「僥倖」という言葉が遣われていた。
内容は言えないが、どういう風に遣われていたかというと、こんな感じで……。

「もう一度、昌弘(あきひろ)君に逢って、その元気を私くしにも、ほんの少しお分けしてほしいと想っていましたら、石川県の帰りにひょっこり顔を見せて下さいましたね。(省略)私くしにとって、あの日、いえ、ここ何年間か味わうことのなかった僥倖となりました。――」と。

本当にうれしかった。僕が、ちょっと時間があるから寄ってあげたいなぁと思って、顔を見せにいっただけだったのに、それを、おばあちゃんは、ここ何年と味わったことのない幸運と捉えてくれたことが……。

昔、僕は、このおばあちゃんから、たくさんの僥倖をもらっている。学校の帰り道、あつあつの焼き芋を家族分もらったり、集中豪雨になって、雨がやむまで休ませてもらうつもりが、お菓子を山ほど買ってくれて、ジュース飲み放題で、お風呂をわかしてくれて、そのあと、焼肉食べ放題で、眠くなったのでふかふか布団を敷いてくれて、お泊りになって、次の日、朝ごはんを食べたら、軽トラックで学校の校門まで送ってもらった。こんなのは、僕がおばあちゃんからもらった僥倖のほんの一部にすぎない。そんなおばあちゃんから、顔を見せただけの僕に、僥倖なんて、すげぇー言葉を遣われると、心にグッとくるものがあって、胸が熱くさせられる。

このおばあちゃんがさすがだなぁと思うのは、普通なら別れ際「また、来てね!」的セリフを言うのだろうが、このおばあちゃんは、ニッコリ笑いながらこう言った。

「あき坊、みんながあんたの元気を待ってるんやから、このババァに吸いとられんうちに、とっとと帰らな」と。

カッコ良すぎるんだよ、おばあちゃんわぁ!
このセリフ1つも、僕にとっては、大切な僥倖だと思っている。

そう思えば、どんな人からも、僥倖がもらえるってことだし、今度は、僕が、いろんな人から、いろんな形の僥倖をもらった僕が、今の、物に不自由しない時代に生まれてきた子どもたちに、絵本を読ませてもらいながら、僥倖の種をまいてあげたいと、心底思う。

絵本はラッキーなことに、絵本、そのものが僥倖だと思う。なぜなら、1ページめくるたびに、思いがけない幸運の連続を封じ込めてある世界だからだ。

子育てで悩んでいるお母さんにとっても、我が子に読んであげることで、我が子の方がお母さんが忙しいにも関わらずこの僕に読んでくれたという僥倖が、我が子から今まで聞いたこともなかったお礼の言葉を言われ、これこそが僥倖になるにちがいない。
それを育み合うことこそ、僥倖の芽となるだろう。





ブックドクター・あきひろ