--- 言葉の芽 vol.31 「 会話の芽 」

僕は正月といえば、家族全員が母屋(おもや)に集まってワイワイ会話をしている居間を思いだす。

そして、親戚のおじちゃん、おばちゃんからお年玉をもらい、「ありがとう」とお礼を言う。

ここで、この「ありがとう」というセリフを忘れようものなら、「こらっ、人からものもらったら何かいうことがあるやろ!?」と言われ、「ありがとう」って言おうとしたときには、おじさんの股にはさまれ、笑い死んでしまうかもしれないと思うほど、くすぐられてしまう。

ようやく放してもらい、「あきっ、何かおもろい話をしてくれ!その話がおもろかったらお年玉をもう1回やる」と言われた。

僕は調子にのって、「この前、学校でなぁ、みんなとドッチボールしとったらなぁ、おれがほったボールをなぁ、コウジっていうやつが捕ったらなぁ、しゃがんで捕ったから、半ズボンのおしりのとこがバリってものすごい音たててやぶれてなぁ、みんなでやぶれたとこを見にいったらなぁ・・・」

「何や、ウンチでもついてたんか!?」

「ちゃう、ちゃう、ウンチとちがって、茶色にしみた、ちり紙がなぁ、ひょろひょろって、はさまってたん」

「ガァハハハハハーァッ!いやーおもろい。そのひょろひょろっていう、おまえの言い方がおもろい。ほれ、百円。次は、何かあるかぁ?」

僕は、100円玉を最低でも、20個は取るぐらい、毎年、おもろい話を用意していた。そうするとワル知恵がついて、「おれの話を聞いて、今、笑ったおじちゃん、おばちゃんも、百円ちょうだい!」って言いながら、おぼんを持って回るようになった。いま思えば、あれも会話をする楽しさの芽を育ててもらっていたと思う。

せっかく正月に一族が集まっても、何の会話もなく、みながテレビを観ていたり、男衆(おとこし)だけ居間で寝てしまい、後は嫁さん連中だけが、あたりさわりのない話を、正月からしているなんて、なんかさみしい。

そういう一族の仲のよさを、子どもたちはしっかり見ていて、誰と誰が仲は良くて、誰と誰は仲が悪いなんかは、もう、瞬間に見抜いているし、会話の内容から、雲行きがあやしくなるなぁと感じるやいなや、スーッと、どこかに行ってしまう。

ただでさえ、会話が少なくなる一方の日本の家庭で、この正月は、会話をするって本当に楽しいなぁって感じる芽が授かるには、もってこいの時期だと思う。

正月から、一族の中で初笑いがあるなんて、子どもたちの心に会話の芽が芽ばえないはずがない。いろんな理由で母屋に集まれない方もいるだろう。そんな方は、家族ですごろくをやったり、かるた、それも百人一首なんかがいいと思うが、会話がおのずと出やすくなる状況をつくってあげて、それを毎年つづけるだけで、去年はあそこでお父さんが何々をしたとか、お母さんがここでこうなったとか、必ず、会話の芽がふいて、会話の花を咲かすことになるだろう。

そしてありがたいことに、最高の初笑いも手に入れられると思う。

本年もよろしくお願いいたします。




ブックドクター・あきひろ