--- 言葉の芽 vol.34 「 かえりみの芽 」

「かえりみる」とは、漢字で書くと、2種類ある。
1つは、ただふり返って見るという意味の「顧みる」。
もう1つは、反省の「省」。こっちは、ふり返って、よく考えて気をつけて見るといえばいいだろう。
この省みる芽を、僕は、小学校1年生で、宮大工のおじいちゃんと、親父から同時にもらったと思っている。
それは、おじいちゃんの家で、僕の親父に、おやじと大事な話があるから、おまえはその竹で竹トンボでも作って待っとれ、と言われて作っていた日のことである。

僕は、竹とんぼを自分で作れることにワクワクした。なぜなら、それまでは、おじいちゃんに、竹トンボ作ってと言わなければならなかったからだ。これは昔に1度、おじいちゃんが使うナイフで自分も作ってみようと思って、竹の棒を右足で踏んで、左手で少し棒を浮かせて、右手にナイフを持ってきろうとした1発目、ナイフが止まったまま動かなくなった。それで、もう1度、力を入れながら手前に引いたら、右足のかかとの部分を、クツの上からスパッと切ってしまい、血まるけになった。それからしばらくの間は竹トンボがほしくなったら、おじいちゃんに、竹トンボ作ってと言うことになっていた。おじいちゃんに竹トンボ作って、と言うと、ものの5分もかからず、ひょいひょいって感じで、よく飛ぶ竹トンボができ上がるので、僕は竹トンボなんて簡単にできるものと思っていた。

ところが見るとやるとでは大違いというのはこのことで、何度作ってもうまく飛ばず、すぐ落ちてしまう。すぐ落ちると、また新しい竹を切ってまた次の竹トンボを作り始める。また飛ばす、またすぐ落ちる。

僕は、落ちた竹トンボを拾いもせず、また竹の棒に手をかけたとき、縁台の方をチラッと見た。そしたら、おじいちゃんと親父が同時に立ち上がると僕が飛ばして拾いもしなかった竹トンボを拾うと、2人とも羽の部分をブロックの角をヤスリ代わりにして、削りだした。そしてほぼ同じぐらいに、手をこすり合わせて2人が飛ばした。そうするとスルスルって天に向かって、どっちの竹トンボも飛んだ。2人は僕の顔をにぃ〜っと笑って見たかと思うと、また縁台にもどって話しはじめた。

僕はすぐ、2人の竹トンボを拾って羽を見た。すると、どちらの竹トンボも羽の半分が互い違いに平らに削ってあった。僕もそばに落ちている竹トンボを拾ってブロックで削ってみた。そして、手をこすり合わせて飛ばした。そしたら、おじいちゃんや親父みたいに高くは飛ばなかったけど、スルスルって竹トンボらしく浮いて飛んだ。そのとき、おじいちゃんがこう言った。

「一生懸命やってるのに成果が出ん時は、作ったもんを拾って、もう1回かえりみてみぃ。」

続けて親父が、

「かえりみれば、必ず、ハッと気づくもんがある。その気づくもんが成果が出んかった原因や。だから、これから先、何事も一生懸命やってるのに成果が出ん時は、まだ必要なもんが全部そろってないやと思え。」

と言った。それ以来僕は、成果を出すためには、必要なものが全てそろえばいいと思うようになった。そして成果が出ないとき、いつも助けてくれるのが、この“かえりみの芽”だと思っている。



ブックドクター・あきひろ