--- 言葉の芽 vol.35 「 調節の芽 」

調節という言葉で連想するものと言えばラジオを思い出す。
中学1年のときの友達と1泊のキャンプをした。深夜にテントの中で「オールナイトニッポン」を聴きながらワイワイさわいだ。それ以来、ラジオは僕の楽しみの1つとなった。
当時、ラジカセが流行りだったが、今のCD・MDコンポについているラジオのように自動で周波数を合わせてくれる機能がついていなかったため、すべて指先で調節しなければならないダイヤル式だった。
ダイヤル式はちょっとした指先の力の入れ具合でクリアに聞こえたり、ノイズが混じったりした。また、ラジカセそのものを机の上においたり、窓際においたりして、ちょっとでもよく聞こえるように工夫した。

人間関係もこれとよく似ていると思う。
相手が何を言わんか周波数を合わせていないと聞きもらしかねない。また、ちゃんと会わせているのに、突然ノイズが入り、肝心な一言が聞きとれなかったために、本筋とはずれた解釈をしてしまう。

僕は、この心のダイヤル調節みたいなものがかなり下手くそだと思う。だから、未だに何度も確認するクセがぬけない。1発でダイヤル調整がうまくきまれば、聞きかえしたりもう1度確認しなくてもすむのになぁと、しょっちゅう思う。

つまり調節とは、相手と自分の節度をほどよく調えることをいうのだろう。
この場合の調えるは「聞く」ことに要点がおかれているが、他に「色を調える」「心の乱れを調える」「支度が調う」「味を調える」「交渉が調う」「肌のキメが調う」など、調えるは、整えると違い、五感にうったえるものを言う。
調節の上手い人が、近所で、職場で、仲間の中に、たった1人いるだけで、みんなの気持ちを調えてくれる。

だが、僕は下手だ。そこで何か上手くなるまで、下手は下手なりに調節できるものはないだろうかと思っていたら、すぐそばに絵本があった。
絵本は、それをたやすくやってのける。
例えば、ワァーワァーさわいでいる子どもたちの真っ只中に、絵本をもって入っていき、その絵本を読ませてもらえば、読み終えたときには、あれだけさわがしかったそれぞれの気持ちが、ほど良く調っていたり、手ごろな雰囲気に調ったりする。ホントに絵本の中にはいろんなパワーが宿っていると感心する。
たぶん、絵本の世界は、どんな子どもだろうが、どんな大人だろうが、どんなに心のダイヤルの調節が下手だろうが、聞き手側が合わせようとしなくても、絵本のほうがそれぞれの心に合わせてくれる不思議な周波数をはなっているのだろう。

だからだろうか。絵本を読んでもらうのが好きな子どもは、みな穏やかな表情になるのは。
小さな心で絵本の世界をしっかりうけとめたとき、調節の芽が芽生え、その芽ばえは、成長するにつけ、みなの心を1つに調え、頼りにされるリーダー的存在になっていくような気がする。




ブックドクター・あきひろ