--- 言葉の芽 vol.36 「 心掛けの芽 」

小学校の3年生のとき、同じ小学校に通う、自転車に乗った6年生が信号の変わりぎわに、まだ行けると思って渡ろうとしたら、反対車線から、これまた同じく、まだ行けると思った車に撥ねられるという事故が発生した。

その次の日の朝は、全校生徒が講堂に集められ、校長先生の話を聞くことになった。
このときの話の中に「心掛け」という言葉が何度も飛び出し、それ以後、心掛けという単語を目にしたり、聞いたりすると、この小学校3年生の講堂のシーンが頭に浮かぶようになった。

そのときの校長先生が言ったセリフは、「ちょっとした不注意が重なると、命を落としたり、今回のような大ケガをするような事故に巻き込まれたりします。そのとき、ご両親は、仕事や家事が手につかないほどとても心配します。いいですか。これだけは、校長先生は何度も言います。これから君たちが大きくなって、大人になっても、ご両親が元気なうちは『決して親を悲しませるようなことがないよう、1つの行動をとるときには、これでいいかなぁ、とかよく考えて、よし、これなら大丈夫、だれも悲しませることはないなぁと思えるまで、しっかりよく考えてから行動するよう、心掛けてください。』いいですね。普段からよく考えてから行動するよう心掛けるのですよ。これで校長先生の話を終わりにします。」というものだったと思う。

この「親を悲しませるようなこと」は、しっかりよく考える前に、幼いころから、我が一族のおじいちゃんを筆頭におやじからも、おかんからも、親戚のおじちゃんおばちゃんからも、はたまた近所のおじちゃんおばちゃん、八百屋のおばちゃん、魚屋のおじちゃんなど、いろんな人たちから、さんざん聞かされていたのだが、それを心掛けるまでの理解は全然できていなかった。
でも、この校長先生の話を聞いたとき、そうかぁ、あの耳にタコができるぐらい聞いてきたセリフは、僕にそれを心掛けさせようと、みんなが言っていてくれていたのかぁと解かった。

今、どの家庭でも、この、「親を悲しませるようなことはしないでね」みたいなセリフを、子どもたちの耳にタコができるほど言っているのだろうかと思うと不安になる。むしろ、このセリフを親の方が言おうと心掛けねば言えないほど、親が我が子を殺すニュースが飛び交っている。そしてそんな物騒なニュースを子どもと一緒に見ていたとしても、言ってはいないような気がする。

心掛けは人それぞれ違うだろう。だが、その中の上位に「親を悲しませることはしない」という心掛けは入ると思う。心掛けの種は幼いうちに親が授けておいてあげれば、これほど心強いものはない。
家の中で親が何を普段から心掛けているかを感性豊かな子どもたちは肌で感じ、後に僕みたいに、頭でようやく解る日が訪れるものが心掛けの芽だと思う。だからこそ、親がまずしっかりしなければならない。子どもは常に親を見ていることを、もう一度しっかり確認し、親や大人が、子どもたちに心掛けさそうとすることばかり心掛けるより、親や大人自身が心掛けていることを語ってあげたり、背中姿を見せられるよう、今一度心掛けることこそ、たくさんの笑顔が増えると真剣に思う。




ブックドクター・あきひろ