--- 言葉の芽 vol.37 「 穏和の芽 」

穏和という言葉で思い出すのが、おじいちゃんやおばあちゃん。
僕の場合、おじいちゃんが本当に穏和な感じだったので特にイメージしてしまうかもしれないが、テレビアニメの『まんが日本むかしばなし』にでてくるおじいちゃんやおばあちゃん、テレビのドラマ・映画にでてくるおじいちゃんおばあちゃんをイメージされる人も多いのではないだろうか。

小さいころに、父方のおじいちゃんおばあちゃんにふれたり、母方のおじいちゃんおばあちゃんにふれたりしている子で、かわいがられた体験をすると、こどもの心が形成されていく過程で、穏和の種が授かっていくような気がする。
つまり、穏和という字が示す通り、おじいちゃんおばあちゃんの穏やかさを肌で感じたり、和(なご)んだり、和(やわ)らいだりするごとに、穏和な種が心の土壌にしっかり入っていくのだろう。

大人になって急に穏和な性格になる人は、この国の選挙前の政治家に多いが、または不祥事を起こしたのに免れようとして穏和の人っぽく記者会見をしている企業などの偉いさんをよく見るが、そんな人たちでさえ、中には“老い”というものが穏和な性格に導く場合もあろう。だが多くの場合、穏和な性格は幼いころに授かり、養われ、培っているにちがいない。

今は、核家族化に歯止めがきかず、どんどん家庭の中からおじいちゃんおばあちゃんの姿が消えていっている。本当に消えるわけではないが、世の中が家族を重んじる構造から効率化型の会社構造に変化したあたりから、おじいちゃんおばあちゃんは、息子夫婦の家から離れて暮すようになり、一族全員が家にいる家族型から、お父さんお母さん子どもたちだけで新居に住む家族型に移っていった。
そうなると、子どもたちの近辺は、効率型の大人にかためられ、穏やかで和やかな空気を感じることさえないほど、時間に追われ、スケジュールに追われ、進路に追われたまま社会に飛びだすことになり、穏和な性格の社会人がどんどん減っていってしまう想像をいだきそうになる。

だが安心してほしい。人間は、どんな性格だろうと、死に直面する。その死に直面したとき、それまで固守しつづけた欲など、簡単に消し飛び、この世に生をおびたときのように、穏やかで和やかな空気をかもしだす。

その穏やかで和やかな空気を幼いうちからしっかり授けられたなら、どんなにいいだろう。
お父さんお母さんが穏やかで和やかな人であればあるほど、子どもがその影響を受けることはいうまでもない。
さらに、絵本や音楽を家庭で楽しめたなら、テレビで飛びかう物騒なニュースなど、ものともしない穏和な性格になるにちがいない。僕は、おじいちゃんから絵本を読んでもらうことはなかったが、家のまわりがいろんな材木であふれていたため、おじいちゃんから木の性質や木片の活かし方が絵本の代わりになったのか、木からも、穏やかさや和やかさを感じとれる心の種を授かっていたように思う。

穏和の芽が育った人物がたくさん世の中に増えたなら、人を殺めたニュースやワイドショーがもっと減って穏やかで和やかな番組が増えるのになぁ・・・・・・。




ブックドクター・あきひろ