--- 言葉の芽 vol.38 「 美挙の芽 」

日本語には本当に感心させられることが多く、この美挙(びきょ)という言葉もその一つ。
意味は、感心な行いのことを言う。
最近は、この言葉をさらっと使うことができる作家もいないと言っていいだろう。作家がいないのだから、読者となる人の目にも、この美挙という単語を目にすることがなくなり、日常会話の中で使われることすらなく、そうやって、いい単語、ステキな日本語が、時代ごとになくなっていく。

はたまた、ノーベル平和賞を授与されたワンダリン・マータイさんのように「もったいない」という日本語を外国の人に感心され、日本国民が「そんないい言葉だったのか」と新情報の1つとして知らない限り、ステキな日本語は残らないだろう。
この美挙も僕がこの際、もじってやって、何か感心することに出会ったときに使う言葉として、「美挙ってる」とか「ビキョるなよぉ〜」とか若者に使ってもらいやすく風化させないように、いくつかの日本語を加工してやろうかとさえ思う(笑)。まぁ、いいか(笑)

じゃあ、どういうときに使うのかっていうと、今も十分使えるシチュエーションは多い。
例えば、夏休みや、冬休みに親戚の家に泊めてもらった小学2年生の男の子が、次の日の夕方に自分の家まで1人で電車に乗って帰ったとする。このとき今の大人は、「1人で帰ったのかぁ、やるなぁあのこわぁ」と、1人で帰ることができたこと自体に感心する。でも、この段階での感心は、まだ美挙ではない。

では、美挙になるにはさらにその男の子がどうしたときになるかと言うと、男の子が帰ってきて、電話を取り、親戚の家に電話をかけ「あっ、おばちゃん?今、家に着いたから安心してねぇ……」と、心配してくれているであろう親戚のおじちゃん、おばちゃんを思って、自らの意志と行動で安心させてあげる、その電話までできたとき、または、大人でもなかなかできない感心する行いをしたとき、美挙というのである。

そして電話をもらった親戚のおばさんが電話をきったあと、リビングにいるおじさんに「あの子には、ほんとに美挙させられることが多いわぁ」とか「感心な子ね、ちゃんと電話してきたわぁ。あれを昔、おばあちゃんがよく言ってた美挙っていうのねぇ」とかって伝えてあげるとき使うのである。

これはほんの一例だが、この他にも、相手を安心させてあげる思いやりや、お世話になった心のこもった感謝の気持ちを行うことは、これ、みな美挙という。

子どもたちは、本来みな、優しいし、教えなくても思いやりをもっている。そんな子どもたちに、周りの大人が、その優しさや思いやりが活きるような仕方やそぶりを見せてあげることこそ、子どもたちの心に、美挙の芽が育まれていくと思う。

一本の電話を入れる姿は、まさに美しい行いであり、その行いを見た大人が、のちにその子のひとつの思い出話として例を挙げることになれば、これまさに「美挙なり」である。

さらにもう一つ。
おじいちゃんの建てた神社や寺も、これまた美挙であったこともここに挙げさせてもらっておく。

僕も、美挙な仕事や技を、ますます会得していかねばならないと思う。




ブックドクター・あきひろ