--- 言葉の芽 Vol.45 「のん気の芽」

 先日、山口県の萩の里まで行った。そのとき、春の七草のうち五種を見た。セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・スズシロ、などだ。残りのホトケノザとスズナがあれば完全制覇だったのだが、残念ながら見つけられなかった。

 のん気なもんだ。
 この『のん気』、漢字で書くと、暖気、暢気、呑気となる。
 この3つの のん気をつかって、それぞれのイメージを浮きぼりにすると…、

  小春日和に、おじいちゃんの家に遊びに行くと、縁側におじいちゃんが暢気にすわっていたので、僕は、そっとおじいちゃんの横にすわった。ふと、庭を見ると、おじいちゃんが飼っている犬のタロウが庭石を枕にして、暖気に寝ていた。
 それからおじいちゃんとコンビニに行って、アイスクリームを買ってもらった。夜、おじいちゃんや、おじちゃんおばちゃん、その子どもの高校2年のナナねえちゃんたちと一緒に、すき焼きを食べた。おじいちゃんは「肉、食うとるかぁ?」と何度も言って、もっぱらお酒ばかりのんでたけど・・・。
 ご飯を食べおわってからお風呂に入った。お風呂からあがって、昼間におじいちゃんに買ってもらったアイスクリームを冷蔵庫にとりにいって、居間にもどったら、もうすでに、おじいちゃんが口をあけて呑気に寝ていた。

 …ってな感じになるだろう。
 

  のん気という性分は、幼い頃に、その子の周りの大人たちがいつも何かにせかせられるように生きていると授からないように思う。
 たった一人、たいていの事では慌てないおじいちゃんかおばあちゃんがいるだけで、その子の心に、ゆったりした気持ち、おだやかな気持ち、落ち着きのある雰囲気などが、本当にうまくからみあって、ちゃんと伝わるんだと思う。イヤ、通じるのかぁ。とにかくそれが、のん気の芽になる。

  のん気なメンバーが仲間に一人いるだけで、みんな、そいつに悩みがうちあけられたり、そいつのおかげで、みんなが盛り上がりすぎて見落としがちなことを見落とさなくてすんだり、そいつのおかげで、みんながあきらめムードになっていても、また、気を取り直して、やろうという気になったり、とにかく、のん気者は、本人の気づかないところで、和をたもってくれる。

 そういえば、おやじが定年したとき言ってたなぁ。

 「おれは、これで、ようやく のん気な毎日をおくれるわぁ。」
 「おう、もう、ゆっくりせぇーや。」
 と僕が言うと、
 「あほか、おまんわぁ。おれは、のん気にいくっていうてんのや。だれがゆっくりなんかするかぁ。ゆったりはするやろうけど。」
 「えぇ!?今、何言うたぁ?おやじはのん気とゆっくりがちがうんかぁ?」
 「おまえ、そんなこともわからんのか。ゆっくりっていうのは、相反する側は、早いとかすばやくっていうところからゆっくりするんであって、ゆっくりせんようになったら、また少しでも早くって世界へもどりよるやろ。そこからいくと、のん気の世界は、それ単体の世界や。相反する世界なんか、ない。ええぞ、のん気の世界わぁ。おれは、そやから、今からの余生は、のん気な日々を送るねん。」


  子どもたちの世界はひょっとすると、もともと、おやじの言う、のん気の世界に近いのかもしれない。
 だって、子どもたちを一人ずつよく見ていると、みんな、一人で何かしているとき、あのときのおやじの のん気な雰囲気そっくりだから・・・。




ブックドクター・あきひろ