--- 言葉の芽 Vol.48 「ひとしおの芽」

 その昔、塩は貴重な物だった。その貴重なものゆえ、塩を一つまみづつ大事に使った。
 すると、体に塩が入り、エネルギーが満ち、もうひとがんばりできる、とされた。
 そこから、うれしさひとしおなど、さらに気持ちの何か貴重な思いが感じられたとき、「ひとしお」をつけて使われるようになった。
 うれしさひとしおならいいが、クタクタで家に帰ってきたのに、そこから用事を言いつけられたときは、つらさひとしおである(笑)。

 このひとしお、僕は、年間にたくさんもらえる。それもうれしい方を。
 遠征に出かけることが多い僕は、遠征先でたくさんもらえるのだ。

 東京からA地区へ移動する。すると、出迎えてくれる人の中に、ただ出迎えてくれるだけじゃなく、心のこもったホットコーヒーとタバコが吸える部屋を用意しておいてもらえることがあるのだが、それだけで、うまさひとしおである。
 次に会場に案内され、講演が始まり、しばらくして会場の皆さんの表情がまろやかになり、大爆笑の渦がおきる。そうすると会場全体が、ひとしお良い雰囲気に包まれる。
 講演が終わって、楽屋に人が詰め掛けてきて、「こんなに笑った講演はありません」とか言われると、「がんばってここまできて良かった」という思いに、ひとしおあけくれる。
 それから打ち上げと称した、僕を肴にして、ワイワイ喋る食事会で、みんなが口から米粒を飛ばすんじゃないかと思うくらい興奮して盛り上がっている中で食べる物は、何を食べても、ひとしおおいしいものだ。
 ようやく夜中に宿に帰り、お風呂に入ったとき、キレイな月がみえると、今日一日に、心の底から、なぜかひとしお感謝してしまう。
 次の日、朝一から、保育園・幼稚園・小学校を回って絵本を読ませてもらったとき、子どもの目が、キラキラ光りはじめたり、輝いたりして、目から眼(め)、眼から瞳(め)に変わって、瞳に活(カツ)が入った子どもたちの瞳の束の中にいると、本当にこの仕事が授かって良かったと、ひとしおも、ふたしおも思える。
 「ハイ、おしまい。じゃなぁー」と言って、部屋を出ようとしたとき、子どもたちから「アンコール、アンコール」と声をからしながら大合唱されると、読あそび道にひとしお力が入る。
 子どもたちから最後に「ありがとう。また来てねぇー」と一生懸命に手をふられながら送られると、ありがたさひとしおである。
  帰り際、主催者の方から「いろいろ悩んでいましたが、今日、子どもたちのあの表情を見ていたら、私たち大人が、すぐそばにいる大人として、いったい何をしていたんだろうと思いました。なんか目が覚めた気がしました。今度来ていただくまで、今日のあの子どもたちの笑顔がたえないよう頑張っていきたいと思いました。またこちらに来ることがあれば、必ず連絡してください。それまで私も、子どもと1回でも多く、笑いあえるよう、ひとしお母行(ははぎょう)に気合を入れたいと思います。」と、元気に言われると、次のB地区まで、
「よーし、次もがんばるかぁー。うりゃーあ!」と、ひとしお気合が入る。

 子どもも大人も、ひとしおでいい、自分の言葉に、思いやりや気遣いを、ちょこっと、ひとしおの芽を盛るだけで、相手の心にも、自分の心にもピリッと効きはじめる確かなモノがあるだろう。





ブックドクター・あきひろ