--- 言葉の芽 Vol.51 「確聞(かくぶん)の芽」

 人間の耳は、聞こうとしたものが聞けたり、聞こうとしないようにしたものが聞けなかったり、雑音の中で大事な声だけ聞くことができたり、轟音の中で音の無い世界に飛び込んだりできる。恐るべき感知性である。
 また、意識したものが聞けたり聞けなかったり無意識に聞いていたり聞いていなかったり、集中力を使って、聞きたい音や声だけ聞こうとしたり、聞きたくない音や声だけ聞こうとしないように訓練することで、驚くことに効果能力性も秘めている。

 ここで、はっきり聞こうとすることを確聞(かくぶん)という。
確実に聞こうとする、正確に聞こうとする、と読んで字のごとしの解釈でもいいだろう。
ちなみに反対語に当たるのは、確言。
確信を持って言い切る、自信を持ってはっきり言う、である。
親子でも、先生と生徒の関係でも、聞き手が確聞すれば、一発で暗記することができたり、しっかり覚えたり、聞きもらすことが限りなく無いに等しい状態となるだろう。

 まず確聞するためにとても簡単な方法を述べておこう。
それはとても簡単。
好きなアーティストや好きな人の声をはっきり聞こうとするだけでいい。
例えば、サザンオールスターズのファンの人は、ボーカルの桑田さんの声が好きだから、新曲を初めて聴いたときに、早口のフレーズがあっても確聞している人が多い。ファンでない人は、歌詞カードを見ていても、そう言っているようには聞こえない場合もあるだろう。

 僕がガキのころ、宮大工のおじいちゃんが家の横に倉庫をつくってくれた。僕はしょっちゅう、
「これ、なにぃ〜」
と声をかけた。そのつど、おじいちゃんは
「これはのぅ〜」
と応えてくれたのだが、おじいちゃんは前歯のほとんどが抜けていたので、おじいちゃんを初めて見た人がおじいちゃんと会話しても『はひふへほ』の発音が強調されるので、「えっ?」って聞きなおす人が多かったが、僕は確聞できていたので、一発でおじいちゃんが何を言っているのかがわかった。

 ある研究で、赤ちゃんはお腹の中にいるときから、母の声を確聞している状態に近いことがわかってきた。
 それがなぜ、小学校の高学年あたりには母のいうことを確聞できなくなるのだろう?
答えは、母のキンキン声にある。
子どもの耳に耳障りな音として届くから、聞かないようにしようという無意識に、感受性豊かゆえ、防衛本能が働き始めるのだ。

 では、どうすれば我が子に各分の芽を宿してあげられるのだろう?

 ふふふ、実は、膝をつき合わす距離で絵本を読んであげるような声のトーンで語るようにすればいいのだ。どうしても叱らなければならないときも、その声のトーンで怒ったり叱ったりすれば、元々、確聞している種に母の声がふれ、諭(さと)されたように、はっきり聞いてしまうのである。

 だからかなぁ。おじいちゃんも、おやじも、ここ一番、これだけは僕に話しておきたいと言わんばかりの話のときは、静かに和やかな感じの声で語ってくれたのは。

 いまだに、いろんな話をしっかり、はっきり覚えている。
ひょっとして、心の耳まで確聞できるようにしてくれていたのかもしれない。

母の声は安心して眠れる魔法の音。
父の声は自信に満ちる魔法の風。

確聞の芽となる極意とは、これいかに。  




ブックドクター・あきひろ