ぼくは、やなぎの木。各駅停車の電車しかとまらない小さい駅の前に立っている。
  もう、80才になるかなあ。よくわかんない。まだ駅がなかったころ、ぼくの足もとには、池があったんだ。あひるがいてさ、ほたるなんかもとんでたんだよ。でも、いつだったかな。鉄道やさんがやってきて、すんでいる人たちに、「富士山が見える駅をつくりたい」と言ったんだ。みんなも「そりゃあいい」ってさんせいしてさ、いっしょに、駅を作ったんだ。
  ぼくは、長い枝を風にさわさわ泳がせながら、のんびり駅ができるのを見物してたんだ。でもさ、駅ができたら、ぼくの足もとにあった池がうめられて、コンクリートでかためられてしまったんだ。なんか、根っこの一本一本に、くつをはかせられたような感じだったね。
  ぼくのすぐとなりに、漢字で「柳」とかいて「りゅう」という焼き鳥やができた。夕方、電車をおりてきたお父さんたちが、家に帰る前にちょっとよって、ビールと焼き鳥でいっぱいやってたよ。そりゃ、にぎやかだったな。
  雨が急にふったりすると、かさをもって家族をむかえにくる子どもたちが、よくぼくの下で雨宿りをしてたもんだ。かといえば、かえるみたいに、枝の先にぴょんぴょんジャンプして、大事なはっぱをごっそりぬいてく子もいたよ。まったく、困ったもんだ。でもね、この子は、今じゃ、始発にのって仕事にいってるよ。えらいもんだよ。
  あっというまに時がたって、「りゅう」はなくなり、ぼくも、ずいぶん年取った。だんだんかたむいてきちゃってさ、たおれて人にぶつかったらあぶないって、いろんな人がやってきては、柱でみきをささえたりして、ずいぶんみっともないすがたになっちゃった。
それで、みんな、いよいよ、もうたおれるにちがいないって思ったらしい。
 2004年、6月30日。午後1時30分。ぼくは、あっけなく、切られた。
  今、ぼくは、そうとう小さくなって、すとうさんちで、コップの中につかってる。すとうさんが、役所に「さし木にして育てたいから枝をください」って、おねがいしたんだ。おいしい水をいっぱいすって、ぼくは、なんの木がわからないくらい小さいけど、ピンク色の根をだし始めた。生まれ変わってるって感じがするよ。いつか、また、地面にうえられるときがくるね。
  ぼくは、やなぎの木。これからも、ずっとやなぎの木だ。

(毎日暑い!私の体温より気温が高いんだから。今回は、元気のない私にかわって、やなぎ君がひなたぼっこばなしを書いてくれました。すとうあさえ)



ほら、ピンクの根っこ、みえる?






わかわかしいでしょう。このはっぱの色。それに、やわらかいんだ。