ひなたぼっこばなし 第58話 「さみしく悲しい気持ち」

みなさんは、クモの巣にかかったことがありますか。私は、つい先日、かかってしまいました。というのも、柴犬まるが、木と木の間のせまいところにすすっと入っていったので、私もリードをもったままあとについていきました。そうしたら、いきなり、顔面にペチペチっとなにかがはりついた!「あっ!クモの巣だ!」。反射的にバックしたら、顔からクモの巣がまるでパックをはがすときのように、メリメリはがれました。ショック。大揺れのクモの巣の上で、大きなクモが、スキップして私をみていました。(ぜったいにスキップしていたし、目があったような気がする)
クモの巣の粘着力は、すばらしい。体から糸を出すとき、どうして糸どうしがくっつかないのだろう。などと感心している場合じゃない。とにかく、私は、とてもみじめな気持ちになったのです。


町でみかけたちょっとさみしい後姿


さみしさを感じる木の姿


鎌倉でみかけたさみしいお姿


ちょっとさみしい。でも、かわいい後ろ姿。

 ここのところ、むやみにさみしく悲しくなります。クモの巣のせいではなく、たぶんきっかけは、加藤和彦さんが亡くなったこと。そんなにファンだったわけでもないのですが、「あのすばらしい愛をもう一度」「イムジン川」「帰ってきたヨッパライ」など、いい曲を作ってくれました。「ひなたぼっこばなし」の4話で、恵方参りの途中でみつけたCDは、「ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念 解散音楽會」でした。加藤さん、北山修さん、坂崎幸之助さんが、期間限定でグループを新結成し、開いたコンサートを収録したものです。

 いい曲ばかり。なかでも「感謝」という曲がいいです。詩は北山修さん。感謝とと もにこの世にさよならを告げる曲。加藤さん の人生と重なるような気がします。 加藤和彦さんがとくに好きだったわけでもないのに、いなくなってしまうと、ぽかりと穴があいたようにさみしいのはなぜだろう。忌野清志郎さんがなくなったときにも、同じような気持ちがしました。自分の意識しないところで、意識していたのかもしれません。そういう人が、あとどのくらいいるのだろう。

  さみしく悲しくなる気持ちは、次から次へとつたわっていきます。柴犬まるちゃんの数少ない友だちの中で、「かずこ」と「しんぺい」に、会えなくなってしまったことも、さみしい。飼い主さんが亡くなり、かずことしんぺいは、他の人にひきとられていったからです。しんぺいがいつもいたベランダには、犬小屋がぽつんとおかれたまま……悲しい。
 こうなると、とまらない。道におちたままのハンカチをみても、ふみつぶされたドングリをみても、さみしく悲しくなってくる。
 きりがない。この悲しみの津波をたちきるには、お日さまが出ている間に、まると散歩にいくのがいいかも。くもの巣にかからないように。
 

※加藤和彦さん(1947年3月21日〜2009年10月16日)は音楽プロデューサー。
  ザ・フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンドなどで活躍し、作曲家としても名曲を数多く残しました。

※忌野清志郎さん(1951年4月2日〜2009年5月2日)はロック歌手。RCサクセションを率いて活躍。絵本「おとうさんの絵」(相馬公平作)の絵も描きました。