森の世紀が始まりました (第4回)
── どうして水は命の源なの?(1) ──

日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授 江刺洋司

太陽光の利用から始まる生命の躍動

21世紀が「水の世紀」、「森の世紀」であることを地球上での水の循環の点から説明して来ましたが、森は更に重要な働きをしていることは後にもう一度話したいと思います。しかし、その前に、生命の営みは水があって初めて成り立つという極めて大事なことを皆さんに理解して貰うには、多くのことを知って欲しいので、項目を設けて何回かに分けて話すことにしましょう。

全ての生命に普遍的な原理は細胞にある

前回は、森が海と同じ役割をするのは、緑色高等植物の蒸散作用の結果であり、最後にそれは光合成という誰でも知っている植物の働きをうまく行う現象であるという所で話を終えました。そこで、今回は光合成の仕組みから話を始めることにします。しかし、だからと言って光合成のための水が、命の源泉の水とは無関係であるということを、先ずはっきりさせて置きたいと思います。光合成が水(酸素が水素、Hによって還元された分子)が光による光化学的分解から始まるということは、中学校や高等学校で光合成の明反応として学んでいると思います。たしかに緑色植物では、光合成の最初の段階での光化学反応で電子(e・H+)を取り出す源は水ですが、光合成細菌では水ではなく硫化水素(硫黄元素が水素で還元された分子)などから取り出しています。ということは、光合成という有機物(炭素元素を核として種々の元素が結合した化合物の総称)を生産する営みには、必ずしも水が必要ではなく、命の源泉が光合成に関わる水とは無関係なことになります。

無論、細菌から高等動植物まで体の主たる構成要素が水分で、クラゲに至っては98%が水であり、最も進化を遂げた人類の身体も8割程度は水分からなっています。また、生体内で物資を水に溶かし込んで運搬の役割を果たしているのも水ですが、そんなことは単細胞の生き物には当てはまりません。となれば、「水が命の源泉」という本質は、生命の最少単位である細胞に共通の原理として考えなければならないこととなります。例えば、ヴィールスという生き物もありますが、彼らは他の生き物(宿主)の細胞内に住んでいる(寄生)わけですから、細胞を最少単位とする考え方は間違いなさそうです。光を利用するとか、利用出来ないなどということは、全ての生命に普遍的な原理ではない問題なのだという考えを先ず持っておいて欲しいのです。

食物連鎖の原点、光合成

それを納得した上で、太陽光の利用から地球上の全ての生命の躍動が始まることを学んでゆくことにしましょう。それには再び、光合成という自然界で全ての有機物を作り出し、食物連鎖(生態学の用語ですが調べて見て下さい)で多様な生き物達を生み出す最初の反応に戻ることにしましょう。草本植物と木本植物の葉や緑藻類には光を受け止める受光体として葉緑素(クロロフィル)という緑色の色素を持っていることは知っていますね。この色素は前回に述べたように地球上の何処でも、どの季節でも、朝から夕方まで最も豊富に射し込む赤色光を吸収することが出来る色素ですが、緑色植物は短い波長の青色光も吸収できる少しだけ構造を変えた葉緑素も保有していて、太陽光を無駄なく使って光合成の効率を大きく高める仕組みを備えています。

葉緑体でおこなわれる明反応と暗反応

これらの植物の葉緑素は細胞内(図1)にある葉緑体(図2)という小さな細胞内器官に含まれていて、実際にはそこで光合成反応を始めます。実際に葉緑素を含むのは葉緑体内の層状の構造(チラコイド)に含まれていて、水(H2O)を光化学反応で分解して電子(e・H+)を取り出すと共に、酸素(O2)を放出します。電子はグラナという部分を流れている間に先ずATPという生体エネルギーを生産し、次いで補酵素NADPに電子を渡してそれを還元し、それ自体が大きな還元力を有するNADPHを供給することになります。葉緑体はこのように太陽エネルギーを吸収して同時に莫大なエネルギーと還元力を供給できるので、各種の有機物を生産できることになるのです。そのために、大気中から気孔を通して(藻類を除く)取り込んだ二酸化炭素や窒素酸化物を還元してブドウ糖(グルコースとも言われ炭水化物を代表する基本的物質)を作ったり、窒素酸化物を還元してアミノ酸を生産することも出来ることになります。

ただし、実際のこれらの有機物の生産は暗反応と言われる還元反応であり、それには多くの酵素が関わっており、還元反応ですので酸化をもたらす酸素が存在すると暗反応は進みません。したがって、明反応で発生した酸素ガスを早急に葉緑体外に排出しますが、直ちに葉緑体外にそれを排出することは出来ません。そこで、明反応の場となっているチラコイド間にストローマという間隙を設け、発生した有害な酸素を外部に逃がす通路の役目をも担わせています。と同時にストローマ内には暗反応に関わる酵素をATPとNADPHを供給してくれるグラナ周辺に集めて保持し、効率的に有機物の生産を行い、グラナ周辺から順に生産した澱粉粒などをストローマ内に蓄えるようになります。

光合成の果たす二つの役割

とにかく、葉緑体は太陽エネルギーを用いて有機物を生産する巧みな構造として、光を徹底して活用するために層状にチラコイドを重ね、酸素ガスを逃がす道としてストローマを用意すると共に、グラナ近辺のストローマには暗反応に関わる酵素を集めて合理的に有機物の還元固定反応を司っています。皆さんは、学校では光合成とはブドウ糖や澱粉を作る反応として教えられたかも知れませんが、それは単に大気中に二酸化炭素が圧倒的に大量に含まれるからであって、同時に窒素酸化物が吸収されていればそれはアミノ酸(皆さんで調べてみましょう)に還元されることになります。ですから、光合成とはブドウ糖や澱粉を作る過程とは限りません。後に、あらためてお話ししますが、前者は地球温暖化を抑える働きをし、他方後者は街路樹に期待されるように大気の浄化作用を担なってます。光合成とは澱粉を生産して、私達に主食を授けてくれるだけの存在ではなく、酸化状態の物質を還元する反応として理解することが大事です。

図1:植物細胞 図2:葉緑体
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